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2017'06.30 (Fri)

宮島③

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使用カメラ:ソニーα55
担当:アルパパ

再び大願寺
弥山から下山すると、もう一度、大願寺を訪ねました。
そして、アル姉が手を合わせると、待っていたかのように、「白い衣装を着て、琵琶のような楽器を手にした、すらりと背の高い女の人が現れた。手は八臂のよう。特にメッセージはなし」とのこと。

Saraswati_Sarasvati_Swan_Sculpture_20170609143505a54.jpg
「え~っ」という感じですが、こんなイメージでしょうか。もちろん、スワンには乗っていませんし、手はもう 4本多い。
楽器を両手で持っていて、それ以外の手に何かを持っているという印象はあまりないそうです。

そもそも、弁才天の起源はインドの河の女神・サラスヴァティにあるといわれています。サラスヴァティを表す絵や写真は中々ないのですが、ヴィーナという楽器とヴェーダ経典と数珠を持ち、知恵と芸術と幸福を司る聡明で美しい女神といわれています。

img_1_m.jpg 弁才天
一方、日本の弁才天は二通りに分かれます。一つは「大日経」によるとされる二臂で琵琶を奏でている「優しい天女」の形。もう一つは「金光明最勝王経」によるとされる八臂弁財天。手には、財を表す宝珠と鍵を持っています(そのためこの形は弁財天と表記されます)が、残る .6つの手には武器を、更に古い形では、すべての手に武器を持っています。特に、真言密教においては、「戦いの女神」としての弁財天を重視しているようです。
後で調べたところでは、大願寺(真言宗)の厳島弁財天は空海の手によるものとされ、日本三大弁財天と呼ばれるほど有名なもののようです。秘仏のため、年に一度しかご開帳されず、普段その姿を見ることはできませんが、八臂像のようですから、「戦いの女神」形だと思います。

上に、「特にメッセージはなかった」と書きましたが、私は、この姿こそが、「わたしは、戦いの女神ではない。この手は、人々を救うためにさしのべています」という女神からのメッセージだったように思えてなりません。

また、この弁才天は、元々は厳島神社の本殿に祀られていたものが、神仏分離により、大巌寺に移されたそうです。最初の時に、厳島神社の鳥居を見せてくれたのは、「私は、サラスヴァティ。厳島神社の女神」ということだったのかも知れませんね。
弁才天の真言は、「オン ソラソバテイエイ ソワカ」といいますが、サラスヴァティが、訛ってソラソバテイエイになったのでしょう。

弁才天ほど習合の激しい神様(仏様)はいません。神社にも、お寺にもお祀りされており一般的には、弁天様=市杵島姫命といわれることが多いのですが、今回の訪問では、弁天様自らが、それを否定されたように思います。やはり、弁天様の本質は、サラスヴァティそのものなのだと思います。それは美しい白蛇の姿をとることもあるようです。


後は、写真をサラッと。
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この奥に、弁才天? ここは写真撮影OKだったのかな。

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大願寺には国の重文がいくつかあるのですが、これはその一つ、薬師如来坐像。上には、何故か、錦帯橋の模型が。

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その隣は、勝海舟、木戸 孝允等会談の間。

さて、まだ見残しがあるので次に行きます。
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かわいいですね。また、来るからね!

豊国神社と五重塔
国重要文化財。通称:千畳閣。豊臣秀吉公が千部経の転読供養をするため 1587年に発願し、安国寺恵瓊に建立を命じたが、秀吉の死により未完成のまま現在にいたっている。 明治時代に秀吉公と加藤清正公が祀られ、豊国神社となった。入母屋造りの大伽藍で857畳の畳を敷くことができ、軒瓦には金箔が押してあることから完成していれば、豪華な桃山文化を取り入れた大経堂になっていたと思われる。本尊の釈迦如来他は神仏分離令のときに大願寺に移されている。

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建物自体が大き過ぎるのと、引きも取れないので、写真に納まりきらない。

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五重塔も国の重文です。高さ、26.7m。本尊の釈迦如来・普賢・文殊菩薩は、やはり、明治の神仏分離で大願寺へ移されている。


大聖院(だいしょういん)
弥山に登って、弥山本堂・聖火堂・大日堂と次々参拝しましたが、これらの堂宇は麓の大聖院のものです。今回は、予定外(結果的には大本命)の大願寺に時間を取られたため、大聖院には参拝することができませんでした。いつか、日を改めて参拝しなければ。


町家通りと参道
来るときは、海岸通りを来たので、最後に町家通りと参道を歩いてみることに。
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昔はこちらがメインストリートで、遊郭も多かったそうですが、今は、人の流れが参道側になったので、今は、生活道路です。この通りを、厳島神社に向って歩くと、通りの向こうに五重塔が見えるという絵になる風景が見られるようですが、生憎、反対向きに歩いたもので、絵になるものがありません。

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参道は、土産物屋が軒を連ねて賑わっています。人力車の写真は、朝方のものなので、店も閉まっていて人通りも少ない。この人力車には、挙式に向かう新郎新婦が乗っています。新郎は白人でした。


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では、またね。

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