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2017'06.06 (Tue)

福岡旅行⑧ 3日目 大宰府

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使用カメラ:ソニーα55
担当:アルパパ

昨日の吉野ヶ里遺跡が 23年振りなら、今日の大宰府は、何と 32年振り。大宰府政庁跡が気持ちよかったのを覚えています。今日も訪ねる予定です。

5/2(火)、8:00過ぎに「道の駅 くるめ」を出発し、9:00前には、天満宮の大駐車場の近くまで来ましたが、観光バスが連なっています。この様子では、駐車場に車が溢れているかと思いきや、一杯なのはバス駐車場だけで、乗用車駐車場には、先客の車が1台のみ? これがどういうことか、直ぐに判明します。

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バス駐車場を出てすぐの参道です。やや派手めの衣装、店先の吊るし広告の文字。中国人の団体客です。朝早くからのバスツアー客の大半は中国人でした。午前中は、この中国人観光客に圧倒され続けます。最近は、クルーズ船で来日する中国人が多いそうです。少し古いですが、2015年の日本港湾クルーズ船寄港ランキングは、1位 博多 259、2位 長崎 131、3位 横浜 125と、博多がダントツの 1位です。博多から大宰府は直近いですから、朝早くから、バスを連ねて来るのでしょう。

大宰府天満宮
まずは、少し長いですが、例のごとく Wikipediaから、抜粋します。
太宰府天満宮は、福岡県太宰府市宰府にある神社。旧社格は官幣中社、現在は神社本庁の別表神社。神紋は梅紋。菅原道真公を祭神として祀る天満宮の一つ。年間 850万人以上の参詣者がある。京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。

右大臣であった菅原道真は 901年に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に員外帥として左遷され、903年に同地で死去した。死後、その遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいという道真の遺志によるものと考え、905年、同寺の境内に廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。
一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、6年後の 909年には藤原時平が39歳の壮年で死去した。これらのできごとを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、919年に竣工した。これが安楽寺天満宮の創祀である。
それでも「道真の祟り」は収まらず、923年には皇太子保明親王が21歳の若さで死去。朝廷は、延喜 → 延長と改元したうえで、4月に道真の官位を生前の右大臣の官職に復し、正二位の位階を追贈した。しかしそれでも「祟り」が沈静化することはなかった。
道真の死後、30年ほどの間に道真「謀反」にかかわったとされた天皇 1人・皇太子 2人・右大臣 1名が亡くなっています。有名な清涼殿落雷事件もこの間の出来事です。そして、990年頃からは本来は天皇・皇族をまつる神社の社号である「天満宮」も併用されるに至った。道真の御霊に対する恐れも少なくなってきたのは中世ごろからで、道真が生前優れた学者であったことにより、学問の神としても信仰されるようになった。

つまり、菅原道真公は、現在は、学問の神様として有名ですが、本来は、崇徳上皇、平将門と並ぶ有名な祟り神です。

天満宮マップ

天満宮マップ①
鳥居のあたりから、順を追って紹介していきます。

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有名な「東風吹かば・・・」の歌碑。

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いたるところにご神牛の像がありますが、これは入口のところ。写真を撮ろうと順番を待っていても、中国人たちは、お構いなしに割込んできますから、アルママも堪りかねて、割込んで(なのかな?)パチリ。後の人がアルママを睨んでいますが、控えめに待っていたら、写真も撮れない!

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中世の鳥居。

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心字池に架かる太鼓橋。

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奥の楼門あたりの様子をご覧ください。辛抱強く人のいない瞬間を狙って写真を撮っていますので、さほどでもないよう見えますが、実際は、人、人、人・・・です。

つづいて、ご本殿とその周辺です。
天満宮マップ②

楼門の手前に、麒麟と鷽(うそ)像があります。
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麒麟は、聖人が現れて王道が行なわれるときに現れるとされ、道真公のご聖徳をたたえるものだそうです。

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鷽は嘘替え神事縁(ゆかり)の鳥で、幸運を運ぶ天満宮の守り鳥とされています。

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楼門。

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本殿。

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ご神木の「飛梅」。「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」 道真公を慕って、都から一夜にして飛んできたといわれる梅の木。境内にある 6000本の梅の中で、一番最初に咲き始めるそうです。

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回廊の外にある大樟。樹齢 2500年とか。天然記念物です。

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本殿の裏に回ると、ここには樹齢 1000 ~ 1500年といわれる夫婦樟。これも天然記念物です。

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筆塚。書道には、三筆・三蹟・三聖と呼ばれる人がいて、 三筆=嵯峨天皇・橘逸勢・空海 、三蹟=小野道風・藤原佐理・藤原行成、 三聖=空海・菅原道真・小野道風。う~ん、ややこしい。

その隣には、こんな碑が。
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野見宿称(のみのすくね)公の碑。野見宿称は東出雲国最後の王、第 17代副王(少名彦)で、道真公の祖先です。
この野見宿称の時代に、物部イクメ王の東進があり、東出雲王国は、日本海沿いに船で攻めのぼった田道間守(たじまもり)によって滅ぼされました。また、田道間守に遅れて陸路を進んだ物部十千根(とうちね)によって西出雲王国も相次いで滅ぼされてしまいました。この時、西出雲王国に仕えながら、十千根と内通して西出雲王国に物部軍を導き入れたのが、徐福の家来であったホヒの子孫です。ホヒ一族は、その功により、後に出雲国造の地位を得て、現在の出雲大社社家である千家まで連綿と続いています。これらのことは、過去記事、「鳥取西部旅行④ 美保神社」に書いた通りです。


ところで、境内には、いくもの摂社があるのですが、
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天穂日命社。「菅家祖神の天穂日命のみたまをまつる」という仰天するような説明があります。
道真公は出雲族の血をひいていますから、穂日命はご先祖どころか、ご先祖の仇になるわけですが、出雲国造の地位を得たホヒ一族は、その後、東出雲王家である向家から嫁を貰うことを許され、出雲に同化を図っていきます。そして、ホヒ家の日狭は、記紀が編纂される際、ホヒをスサノオ(=徐福)の子とし、出雲族の祖先と記載することに成功します。ですから、それ以降の日本では、ホヒは天穂日命として出雲族の祖先になってしまったのです。その結果、天穂日命を祖神とする神々や家系がたくさん存在することになります。

もう一つ、摂社を紹介します。
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菓祖中島神社。ご祭神は、田道間守命。ナナッ何と。上で述べたばかりの、野見宿祢の東出雲王国を滅ぼした田道間守がお菓子の神様として同じ境内にお祀りされているとは! 
田道間守は辰韓から来たヒボコの子孫です。ヒボコについては、過去記事、「法隆寺③ 中宮寺から西円堂へ」の中で少し触れています。

ここで、野見宿祢("宿祢(すくね)"は尊称)と田道間守のその後日談をもう少し。
ホヒ家の日狭が出雲国造となったのち、向家は富家と名を変えています。大和では、イクメ王が大王となりますが、まだ十分な力はなく、東出雲王国を滅ぼした後、大和に進出した田道間守が勢力を増して王の如く振る舞い、手に余るようになりました。そこで、イクメ王は、出雲国造の日狭に田道間守の討伐を頼みますが、日狭にも力はなく、日狭は旧王家の富家に田道間守の討伐を頼みます。既に、王でもなく隠棲していた冨家の当主大田彦も、相手が田道間守と聞いてこれを引き受けます。兵を集め、名も富から野見と変え、野見大田彦として出兵します。そして、各地で田道間守の軍を打ち破り、追って、追って、静岡県東部まで追い詰めて田道間守軍を滅ぼします。ところが、野見宿祢は、兵を引いて出雲へ引き揚げる途中の播磨の国で毒殺されてしまいました。毒殺したのは、何と、ヒボコの子孫だったということです。殺された野見宿祢の墓(横穴古墳)は、兵庫県竜野市に現存します。

更にさらに、今度は末社を、もう一つ。私は、ここから、強いメッセージを受け取った気がしました。
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末社、「高良(こうら)社」。ご祭神、武内宿祢(たけのうちすくね)命。この人も古代出雲族を代表する一人ですが、何故、ここに祀られているのでしょうね? ちょっと、連想ゲームみたいですが・・・。

武内宿祢の子孫には有名な古代日本の名門・蘇我氏がいます。蘇我氏は大和のみならず、北陸一帯にも幅広く勢力を広げていました。西暦 500年頃、大和の平群王朝が幕を閉じ、オホド大王(第26代継体天皇)が即位しますが、このオホド大王は北陸蘇我氏の出身なのです。暫くは、蘇我王朝が続き、第28代宣化天皇の子孫があの有名な蘇我馬子・入鹿・蝦夷ですが、彼らは、大化の改新で、中大兄皇子と中臣鎌足に謀殺されてしまいます。
この事件の首謀者である中臣鎌足は出自不詳、半島から来た人ではないかと言われています。記紀を編纂したのは、その子・藤原不比等と言われていますが、不比等は父・鎌足が古代日本の名門・蘇我氏を謀殺したことで非難されるのを恐れ、真実を徹底して隠ぺいし、歪曲しました。蘇我氏を謀殺して日本の中枢に食い込んだ藤原氏は、その後、道長を頂点として栄華を極めたのちも、五摂家(近衛、九条、二条、一条、鷹司)として力を保持し続け、現在も多くの家系の中に生き続けています。

この高良社では、武内宿祢の名前から蘇我氏と蘇我氏を滅ぼした藤原氏を思い起こしましたが、冒頭の Wikipediaの説明にもあった通り、人望の高かった菅原道真公を謀略で陥れたのも藤原氏です。こうして見ると、古代史は、藤原氏に限らず、物部氏もそうだったように、渡来系氏族が、原日本人である出雲族を滅ぼし権力を手中にしていく過程だということが判ります。そして、古代史に限らず、権力闘争の末に勝ち得た光の陰には、こうした大きな闇が隠されています。

天満宮の境内を訪ね回っていくと、菅原道真にも、渡来系の人々に葬り去られてしまう出雲族の悲劇性が見えてしまいました。それにしても、九州まで来て、出雲族が出てくるとは、思いもしませんでしたが・・・。


天開稲荷社
暫し、古代出雲族に思いを馳せた後、次に、天満宮の裏手の山の天開稲荷社を訪ねました。ここは、願いが叶うパワースポットだそうです。ここまで、お参りする中国人はほとんどおらず、静かな山道を 10分ほど登っていきます。
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本殿。小さなお社です。ここでは光が見えました。

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本殿のすぐ後の洞窟が奥宮です。中は、二人がやっと並べるほどの狭い空間です。ここで、アル姉は「白い狐」の姿を見せてもらいましたが、集中しようとするときに中年の女性が入ってきて、狐さんの姿は消えてしまいました。姿が消えてしまったのは残念ですが、姿を見せてくれたということは、ここのお稲荷さん、かなり、力の強い方だと思います。


天満宮宝物殿

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宝物館は特に紹介したいものもないのですが、ここで見た紹介ビデオの「水城」に関する部分は中々興味深いものでした。結局、時間がなく、水城の横を通り過ぎただけで、遺構を見ることはできなかったのですが、もし、もう一度行くことがあれば、是非見たいと思います。

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午後の参道は、午前とは様子が変わってきます。混雑は一層激しくなり、今度は、修学旅行生が数で中国人を圧倒しています。連休の谷間とはいえ、ウィークデイなんですが・・・ネ。

九州国立博物館
天満宮の直ぐ隣にあります。 32年前には、勿論ありません。4つある国立博物館の一つですから、これは是非見なければ ということで・・・見ました。常設展示だけで、3時間ほど掛かりました。既に、午前中で、人にあたってフラフラしていた私にはきつかったです。でも、常設展示だけなら、 70歳以上は無料でしたよ。フフッ。

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博物館へはトンネルを抜けていきます。トンネル入口。

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トンネル内は時間とともに色が変化します。

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巨大な博物館の建物。

館内は、写真撮影禁止なので、写真はありませんが、次をクリックしていただくとその片鱗を窺うことができるかも知れません。
「文化交流展示室案内」
展示作品のリストと一部の写真も出てきますから、よければご覧ください。膨大な量です。明日訪ねる予定の、宗像大社や宮地嶽神社の国宝も展示されています。


特別史跡・大宰府跡
疲れた身体に鞭打って、最後に、大宰府跡を訪ねました。説明板から抜粋。

「古代、西海道と呼ばれた九州一円を統轄していた大宰府は外交・貿易などの対外交渉の窓口として重要な任務を課せられていた。その機構は中央政府に準じ、地方機関としては最大規模の行政組織を有していた。発掘調査によると、七世紀後半に掘立柱建物が建てられ、八世紀初頭礎石を用いた朝堂院形式の建物に整備される。この建物はは藤原純友の乱によって焼き討ちされたが、十世紀後半には再建された。現在見ることのできる礎石は、この再建期のもので・・・・・・・」

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南門跡?

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原っぱと礎石だけの広い空間ですが、今日、一番ほっとしたひと時でした。

またここには無料の資料館があって大宰府に関する資料展示があります。
印象に残ったのは、当時の高級官僚と下級官僚の食事の展示で、高級官僚の食事が、山海の珍味満載なのに対して、下級官僚の食事は、ほとんど蛋白質のない質素なものでした。


今日の立ち寄り湯
今日の立ち寄り湯は、天満宮の後ろの山にある、ホテル「ルートイングランティア太宰府」内の健康ランドみかさの湯


今日の道の駅
今日の道の駅は、「うすい」。ナビの選んだ山道を 25km、次第に後に乗用車が迫ってきますし、知らない土地の夜の山道は長く感じますね。到着は、20:30。後で、片道 2車線の国道があったことを知りました。やれやれ、最後まで、お疲れの一日でした。


明日の糸島は、玄界灘の自然豊かな半島。今日の疲れも吹っ飛ぶでしょう。アル姉にバトンタッチします。

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テーマ : 国内、史跡・名勝巡り - ジャンル : 旅行

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