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2017'06.03 (Sat)

福岡旅行⑦ 2日目 吉野ヶ里遺跡 そのⅢ

画像をクリックするとアップロードサイズでご覧いただけます。
使用カメラ:ソニーα55
担当:アルパパ

これから、ハイライトの「北内郭」に向いますが、その途中にも、ちょっとした復元施設があります。案内図の左下のところですが、「中のムラ」と呼ばれています。

吉野ヶ里map③


「中のムラ」

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酒造りの家。中に入ってみても何もありません。この中のムラは、祭祀・儀式に使うものを造っていると考えているようです。お酒もそのためのものです。

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機織の家。同じく、祭祀・儀式で使う絹織物を造っています。建物は、酒造りの家と同じというか、基本的にはどれも同じです。

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この一角にある、倉庫群らしき建物。時間がないのでパスしますが、北内郭で使うものをストックしておくところでしょう。

「北内郭(王の宮殿)」
この遺跡群の中で、最重要と位置づけられているのが、この北内郭にある神殿です。

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宮殿と名付けていますが、ここは儀式と祭祀の場であり、ここに住んでいるのは、神のお告げを降ろす巫女とその世話をする人だけです。

さて、入りましょう。二重の壕に囲まれています。
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門のところから主祭殿が見えます。門を入ると、高い塀に遮られて、一旦、何も見えなくなりますが、更に塀の中へ進むと、

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主祭殿が全貌を現します。天の浮橋から見えていた大きな建物はこれだったのですね。大きいです。1800年前、人力だけで、これだけの建物を造ることが出来たということに感動します。中に入ってみましょう。説明板にもあるように、あくまでも、想像力を駆使して再現したものです。

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この国の支配者たちと壕の外のムラ々々の代表者たちの話合いの様子です。何時、田植えをするかというようなことが決められたのでしょうか。

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王の左側、赤い服の人たちが壕の中の人たち、右側が外のムラの人たちの代表者です。
続いて、3階、この祭殿の最重要部分です。

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巫女はここで、王の祖霊からお告げを授かります。巫女は小笹を手に持ち、琴の音に合わせて神がかり状態になり、お告げを降ろします。巫女の右側には、お告げを聞き分け、伝える人が控えています。そして、王がそのお告げを実行します。

この北内郭の中には、他にも、祭祀の準備をするための斎堂、巫女の住いである高床式住居、従者の住いそして二重の壕の間に東祭殿があります。

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斎堂。内部は仕切られていて、奥の部屋は、沐浴潔斎の場所で、必要な桶や水瓶があり、手前の部屋には祀りに必要な道具類が置かれていたと考えられています。

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巫女の住い(高床住居)。巫女は普段人前に姿を現わしません。大変ストイックな生活です。建物外観の写真を撮り忘れてしまいました。

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従者の住い。その向こうに屋根だけ見えているのが、巫女の住いです。右手奥は物見櫓、南内郭の 1/3程のこの狭い場所にも 4つの物見櫓があります。

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時間の関係で行かなかった東祭殿。夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線上にある高床の建物です。太陽の動きを知るための建物で、ここでは季節ごとの祀りが行われていたと考えられています。(写真は、吉野ヶ里遺跡公園のHPから借用)


「甕棺墓列と北墳丘墓」
次は、北内郭を出て、更に北。北墳丘墓へ向いますが、その途中に甕棺墓列があります。

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地面の盛上がったところが、甕棺の埋められているところです。甕の中に遺体を納め、もう一つの甕で蓋をし、繋ぎ目を粘土で覆って埋葬します。

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祀堂(しどう)。歴代の王の祖霊に供物を捧げ、お祈りする建物。写真を見比べると、東祭殿もこれと同じ形の建物のようです。向こうの見える小高い土盛の部分が北墳丘墓と呼ばれる王たちの墓の場所です。あの小高い土盛の下は建物になっています。

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この看板に位置関係が示されていますが、主祭殿と北墳丘墓を結ぶ線上、一般の墓と王の墓の真ん中に祀堂はあります。また、、巫女は主祭殿の中で、この王の墓の方を向いて祖霊からのお告げを受けていたことがわかります。なるほど!

北墳丘墓は、建物の中に王たちの墓の発掘状態をそのまま展示してあります。
DSC00333.jpg 入口。

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この展示室は、墳丘墓をすっぽりと覆うように建てられ、さらにその上に土盛をして芝生を植えています。

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室内の展示の一部。ここは、発掘した本物を展示してあるので、甕棺は細かくひび割れています。

まだ北があるのですが、閉園時間が近づいたので、ここらで引き返すことにしました。

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供物倉。北内郭に入る前に、遠目に見ていた倉の傍を通りました。やはり、祭りや儀式のときに供える食物を収めておく倉でした。


展示館
時間ぎりぎりまでしぶとく、展示室も覗いて見ました。
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環壕の深さを示す展示? だったと思います。

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門のところには必ず鳥の置物が取り付けられているのですが、何か意味があるのでしょう。

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猪親子と鳥たちに見送られて吉野ヶ里遺跡を後にします。駆け足の 3時間でしたが、あっという間でした。ゆっくり、 1日がかりで見るのがお奨めです。


立ち寄り湯と道の駅
長くなりついでに、立ち寄り湯と道の駅の紹介です。

立ち寄り湯は柳川から吉野ヶ里に向う道沿いで見つけた「天然の湯あおき温泉」。
http://aokionsen.web.fc2.com/index.html
こじんまりとした温泉です。

この日泊まったのは「道の駅くるめ」。
夕方のラッシュの中、久留米市の中心地を抜けて東へ 25km。着いたのは、20:00です。お疲れでした。
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駐車場は広いのですが、全体に盛上がっていて、平らなのは真ん中あたりだけ。国道沿いなので車の往来は頻繁です。

3日目につづきます。

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テーマ : 国内、史跡・名勝巡り - ジャンル : 旅行

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