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2017'05.03 (Wed)

鳥取西部旅行 4 美保神社

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使用カメラ:ソニーα55
担当:アルパパ

4月15日 美保神社
一夜明けてみると、横なぐりの強い雨。鳥取花回廊も雨だろうなと思いつつ、道の駅にいても仕方ないので、8:30 何となくスタート。暫く、西へ向けて走っていると、アル姉が、「今回は、妻木晩田遺跡と鳥取花回廊だけ。他にはないの」。これを、昨日から何度も繰り返しているのです。鳥取花回廊へ行っても雨だろうし、「じぁ、美保神社に行ってみようか」と提案すると、「行こう、行こう!」ということになり、米子から進路を北にとって、昨日、山の上から見た弓ヶ浜を走ります。

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このヒョロヒョロとした松並木が、アル姉お気に入りの弓ヶ浜の光景らしく、はしゃいでいます。

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やがて、境港大橋を渡り

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暫く走ると、美保神社の駐車場へ到着です。雨、止んだ、晴れ!
そして、アル姉、車を降りるなり、「ああ、ここ行かなきゃ」とスタスタ赤い橋に向います。

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橋の向こうに小さな島があってお社。案内の立て札も何もありませんが、弁天様でしょう。やっぱりね。既に呼ばれている気配が濃厚です。

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美保神社は、神話に基づき、次のように紹介されています。
美保神社は美保関の中央部にあり、大国主命(だいこく様)の長男、事代主命(えびす様)とその母神三穂津姫命をお祀りする二殿連棟(美保造り)の特殊なお社です。

が、この親子関係はまったく出鱈目で、真実は異なります。美保神社の紹介は、かなり深い話になります。長くなりますので、できるだけ端折って紹介します。
出雲では、西出雲王国の神門臣(かんどおみ)家と東出雲王国の富家が交互に主王(大国主という)と副王(少名彦という)を出して、共同で王国を統治していました。紀元前 3世紀後半の出雲は、八代目の時代で、主王は西出雲王国・神門臣家の八千矛(やちほこ)、副王は東出雲王国・富家の事代主(ことしろぬし)が務めていました。そして、ここに、徐福伝説で有名な、あの徐福が絡んできます。その八代目の頃、正確には紀元前 219年、秦の始皇帝の命を受けた除福が不老不死の仙薬を求め、2000人もの秦族を引き連れて、出雲半島の五十猛海岸に上陸してきたのです。徐福上陸の 1年前に、秦族のホヒとタケヒナドリ父子が先遣隊として上陸し、西出雲王国・神門臣家に仕えて、地ならしをしていたため、徐福はすんなりと上陸することができました。更に、除福は西出雲王国の姫・高照姫を妃に迎えたいと申し出て認められ、そして生まれたのが五十猛(いそたけ)。五十猛は海氏を名乗り、その後丹波に移住。その子孫は海部氏と名を変えます。また五十猛の子、海村雲(あめのむらくも)は大和に進出して、海王朝を起こし、初代の大和大王となりました。除福は日本名をホアカリと名乗りましたが、実は、スサノオ伝説の主人公はこの除福なのです。
出雲王国と除福集団の関係は、うまくいっているように見えていましたが、やがて除福集団は牙を剥きます。八代目の主王・八千矛と副王・事代主が、タケヒナドリの手によって、相次いで幽閉、殺害されるという事件が起こります。
殺害された事代主には出雲の正室の他に、美保関に越の国から来た側室のヌナガワ姫がいて、二人の間に、タケミナカタという息子とミホツヒメという娘がいました。事代主が殺害された後、タケミナカタは母のヌナガワ姫を連れて越の国に帰りますが、ミホツヒメは美保関に残ります。主王と副王を失った出雲王国は動揺し、半数が新天地を求めて大和へ移住してしまいます。
八代目を失った出雲族は、九代目の主王・副王を立てます。この様子を見ていた徐福は、このままここに居ても王にはなれないと判断し、息子の五十猛と母親を残して一旦帰国しますが、もう一度、紀元前 210年に、またもや始皇帝を騙して、3000人の若者と多くの熟練工、多くの資材を携えて、再び日本に上陸します。今度は、徐福は人の少ないところを狙って、有明海から、筑後川下流に上陸しました。当時の 3000人は大集団です。彼は吉野ヶ里を拠点として勢力を広げ、物部氏を名乗ります。徐福の王国は、当初、築秦国と呼ばれていましたが、それが築紫国になったそうです。
460年ほど一気に時間を進めます。この間に、物部氏は、筑紫 → 薩摩 → 日向と王国を移しています。当時の王国の中心は、西都原、都万国といいました。移動の途中で南九州の隼人族も吸収し、九州随一の勢力となった物部氏は、イクメ王の時代、西暦 248年、九州・宇佐の豊国と連合軍を編成し、大和進出を図ります。瀬戸内海沿いに吉備国と直接対決して大和を目指すイクメ王の軍と、日本海沿いに出雲を攻める物部十千根(とうちね)軍の二手に分かれて攻め上ります。既に、弱体化していた出雲王国軍は、ホヒ家の裏切りもあって簡単に負けてしまい、ここに 17代 600年続いた出雲王国は終焉を迎えます。やがて、イクメ王の主力軍も 8年の戦いの後、吉備王国を破り河内に上陸、300年続いた磯城王朝を倒して物部王朝を建て、イクメ王は大王(垂仁天皇に比定)に就きました。このイクメ王の大和侵攻が、記紀では神武東征の話に書き換えられています。
こうして、出雲王国は物部王朝の成立過程で滅んでしまいます。新たに出雲国主となった物部十千根は、秋上(あきあげ)家と名を変えますが、東出雲王家の血筋である向家(富家から名を変えた)を尊重してくれました。十千根のこの厚情に応えるため、向家では、出雲と物部の恩讐を乗越え、ともに手を携えて進んでいこうと決意、その願いを込めて美保神社を建立、事代主と三穂津姫の靈を祀りました。美保神社の由緒は不明とされていますが、これが由緒です。

なお、物部軍を助けた功によりホヒ一族は、出雲国造の地位を得、それは現在の出雲大社の社家である千家、北島家にまで続いています。千家の家系図を見ると、「天照大神」-「天穂日(あめのほひ)命」-「武夷鳥(たけひなどり)命」・・・で始まっています。

こうして成立した物部王朝も、僅か 3代で幕を閉じ、平群王朝へとバトンを渡して歴史の陰へと消えていきます。

記紀とはかなり趣の異なる話を長々と紹介しましたが、いつの世も、勝者が都合の良い歴史を正義として語り、敗者は歴史から抹殺されるか歪曲された歴史を背負わされることになります。

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建物は、向家の願いを反映した独特の造りになっています。まず、手前の拝殿ですが、壁が全くありません。誰でも、どこからでも、自由に集えるようにという意味が込められています。

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二つの本殿の千木をご覧ください。左の千木は縦削ぎ、右の千木は横削ぎです。縦削ぎは出雲の形式、横削ぎは物部の形式で、恩讐を超えて融和を図ろうという意味が込められています。
※ 一般には、男神が縦削ぎ、女神が横削ぎと言われますが、元々の意味はこの通りです。

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本殿の後ろから。

お参りすると、アル姉には文字が降りてきましたが、行書か草書かという字体であることと文字数が多すぎて意味不明、というよくあるパターンでした。本殿は拝殿から向かって左側、事代主が祀られている方から降りてきたそうです。

旅行の数日前、アル姉にレイキをしている時、アル姉に児島半島の由加神社のヴィジョンが降りてきました。早速、翌日、アル姉は、由加神社にお参りしたそうです。そうすると今度は「寿」という字が降りてきたそうです。そのときは、「なんのこっちゃ」で終わりだったのですが・・・。
事代主は一般には、「恵比寿様」としての方がよく知られています。もしかすると、恵比寿様の寿だったのかも知れません。

お参りした後は、アル姉もつかえものが下りたようにスッキリでした。

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ご神竹。美保神社のお種と呼ばれる籾は念じて撒くと、綿だろうが、西瓜だろうが、豆だろうが、ハスだろうが、どんなものにでもなると言われており、この竹はお種から生じたものであるといわれています。このお種は 100円で求めることができます。

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拝殿前の狛犬は備前焼。

参拝が済んで、神社前の青石畳通りを歩いてみました。
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通りには、この地を訪れた多くの文人たちの短歌・俳句の碑がたくさんあります。
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街角の資料館に展示されていた「諸手船(もろたぶね)神事」の絵。
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「大国主神が事代主神へ国譲りの知らせを船で知らせたことに由来する神事」と言い伝えられていますが、真実は、八代目大国主・八千矛を拉致したタケヒナドリが、美保関にいた事代主のもとを訪れ、「八千矛様が行方不明になりました。事代主様も一緒に探してください」と偽って事代主を船に乗せ、そのまま拉致して、米子の粟島の洞窟に幽閉したときの様子を再現したものです。12月3日に執り行われます。

予定外だったのか、予め、決められていたことなのか? これで美保神社の紹介を終わります。
ここから、アル姉にバトンタッチします。鳥取花回廊、花の写真をご覧ください。

つづく。

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