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2017'05.01 (Mon)

鳥取西部旅行 3

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使用カメラ:ソニーα55
担当:アルパパ

フトニ大王の王宮跡(高杉神社)
さて、妻木晩田遺跡の見学がすんだ後は、フトニ大王の王宮跡に建つ高杉神社を訪ねました。
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所在地・・・鳥取県西伯郡大山町宮内88番
社  格・・・村社
ご祭神・・・大足彦忍代別命、大日本根子彦太瓊命(フトニノミコト:孝霊天皇)、本媛之命、松媛之命、千代姫之命、小葉枝皇子、根鳥皇子、天照御大神、武速須佐之男命、誉田別命、押別命

やはり、祭神の一柱として、フトニ大王が祀られています。また、地名の宮内も王宮のあったところという意味なのでしょう。

さて、フトニ大王については、過去記事「法隆寺③中宮寺から西円堂へ」の中で次のように述べていますので、その部分を再掲します。

2世紀の中頃、磯城王朝のフトニ大王(孝霊天皇に比定される)は、本家筋の出雲王国から、出雲領である播磨地方(兵庫県南西部)が丹波のヒボコ(半島から渡来した辰韓の王子)勢の侵略をうけているとして救援を頼まれます。フトニ大王は、それに応えて、大キビツ彦と若タケキビツ彦、二人の御子を派遣してヒボコ勢の侵略を喰い止めましたが、フトニ大王は播磨の地を出雲王国に返そうとはせず、自分の領地にしてしまった上、大軍をもって出雲領吉備国に侵入し、これを占領してしまいました。その後、フトニ大王は中国山地を越えて、伯耆(鳥取県西部)にまで攻め込み、そこに居を構えて暮らします。そして、大キビツ彦と若タケキビツ彦、二人の御子は、更に、出雲王国深くまで攻込んで激しい戦いを繰り広げました。やがて劣勢の西出雲王国が休戦を申入れ、二人の御子は戦利品を得て吉備の国に引上げ、ここに大和王国にも拮抗する吉備王国の誕生を宣言します。

フトニ大王は先祖の地である出雲王国に攻込んで、そこが気に入ったのか、王宮を建てて住み着いてしまったのですね。その王宮跡に、今は高杉神社が建っています。

フトニ大王の吉備軍は一旦日本海まで出て、そこから日野川を遡って攻込み、東出雲王国軍は遺跡のあった妻木山に陣を敷いて迎え撃ったそうです。ですから、長閑そうに見えた妻木晩田遺跡ですが、あそこは、倭国大乱の戦場だったのかも知れません。明日訪ねる鳥取花回廊の辺り、溝口でも激しい戦いが行われています。鳥取花回廊の近くに「鬼っ子ランド」という遊園地がありますが、あの辺りには鬼伝説があります。岡山県にも鬼伝説があります。吉備軍は自分たちに敵対する勢力を鬼と呼びました。負けると悪者にされてしまうという悲しい事実です。

さて、この高杉神社には「うわなり神事」と呼ばれる奇祭があります。興味がおありでしたら、クリックしてお読みください。主人公は、フトニ大王(孝靈天皇)の本妻・細姫命とフトニ大王がこの地で迎えた二人の側室、松姫、千代姫の 3人。神事はこの 3人にまつわる愛憎劇です。

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孝霊山の麓、高杉神社付近から眺める大山。1800年前もほとんど変わらぬ姿だったでしょう。
フトニ大王が大和の大王の地位を捨て、温暖で豊かな吉備でもなく、伯耆のこの地に居を構えたのは、朝に夕にこの大山を仰ぎ見て祈りを捧げるためだったのかも知れません。ここから眺める大山には、そんな霊山の雰囲気があります。

大山は、昔は大神山と呼ばれる神聖な山でした。何故、そう呼ばれていたかというと、出雲王国の神奈備山だったからです。祀られていたのはクナトノ大神。クナトノ大神は謎の神といわれていますが、600年続いた出雲王国の始祖クナト王を祀ったものです。
クナト王は、インダス文明を築いたインドのドラビダ族の王でしたが、西からのアーリア人の侵入に押される形で、自分たちも移動を決意し、数千人を引き連れてインドの地を離れます。目指した先は、ブリヤート人の商人から聞いた、南(ブリヤート人から見て)の海に浮かぶ人がほとんど住んでいない温暖な島。人目を避け、ゴビ砂漠を横断し、ブリヤート人の住むバイカル湖周辺に到着します。そこからは筏でアムール川を下り、樺太、北海道沿岸を進み、青森県津軽半島に上陸します。そこから更に、陸路南下を続けて出雲に至り、この地に住み着きます。
何故、出雲なのかというと、彼らはそこで黒い川を見つけたからです。黒い川、つまり大量の砂鉄を見つけたのです。彼らは既に低温のタタラ製鉄の技術を持っていましたから、大量の砂鉄を産出する土地は大変魅力的だったわけで、ここに住み着いて鉄器を生産、そこに鉄器を求める人たちが集まってきて王国が出来上がっていったのです。
日本人の遺伝子を解析すると、ドラビダ族の血にアジア大陸各地の血も混じっているそうです。移動の途中で他民族も混じっていったのでしょう。ドラビダ語に古代モンゴル語などが混じって出雲語ができ、それを基に日本語ができていきました。つまり、原日本人ともいえる縄文人のルーツはインドのドラビダ族です。そして、多くの日本人の穏やかな民族性もドラビダ族由来のものです。

更に、文明だけでなく、ドラビダ族が持ち込んだ信仰もまた日本にしっかりと根付きました。
・日の女神・・・出雲における日の女神信仰は、出雲族の大和移住とともに、大和にも移植されました。大和で信仰の中心となったのは三輪山です。ここでは、東出雲王国出身の登美家の姫がシャーマンとなって祭祀を取り仕切りました。初期の大和政権は、祭祀による統治でしたから、登美家の後押しがないと、大王にはなれませんでした。やがて、三輪山の日の女神は、物部氏の大和進出によって丹波に追いやられ、その後、出雲系の伊勢氏に迎えられて、伊勢で祀られます。これが、神話に取り込まれて、天照大神の伊勢遷座までの流浪の旅の物語になったのだと思います。
・龍神・・・お馴染みの龍神信仰もインド由来です。陸の大蛇、川のワニの最強コンビが合体して龍となったそうです。
・ガネーシャ・・・顔が象の神様。これが、日本ではサルタヒコ大神になりました。サルタヒコ大神はクナトノ大神の御子神とされています。クナトノ大神と妻神の幸姫命、サルタヒコ大神を合わせて「幸神三神(さいのかみさんしん)」といい、「人の幸」を守護する神として崇められました。


さて、本日の日程終了で、宿泊地「道の駅 大山恵みの里」に向う途中、こんなところに寄ってみました。
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小さな公園ですが、雄大な大山北壁を背景にここで遊べる子供たちが羨ましい。そして、一角にはこんなものも。

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カラス天狗は、スサノオの眷属神という人もいますが、その真偽は別にして、中国の流星思想と日本の怪異伝説が結びついてできたという説もあるようです。

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マンタ? ムササビ?


おまけ
高杉神社には、すっと行けたわけではなく、場所をうろ覚えだった上に高杉神社を若杉神社といい間違えていました。勿論、NAVIに載っているような有名な神社ではなかったので、NAVI上の神社マークを適当に選んで移動したのですが、アルキング号では通れないような細い道になり、車を降りて歩くこと 20分。挙句に、「あれ、ここは違う!」となりましたが、その神社がこちらの長田神社。
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少々慌ててしまいましたが、アル姉は「とても気持ちのよい神社」なので、お参りの時、神様に若杉神社への道案内をお願いしたそうです。

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注連縄の形が力強くユニークです。長田神社を離れてすぐに、アル姉が「高杉神社じゃないの」と言い出し、「それなら、判る」ということで、早速の導きをいただきました。ありがとうございました。

道の駅・大山恵みの里
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4/14は、一晩中強風が吹き荒れました。幸いなことに、アルキング号は駐車場所がよかったため、車が揺すぶられることもなく一夜を明かすことができましたが、写真のバンコンは、別の場所に停めていたのですが、よほど揺すぶられたのでしょう。朝には、風の当たりにくいこの場所に移動していました。

つづく

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テーマ : 神社めぐり - ジャンル : 旅行

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