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2017'04.17 (Mon)

2017年3月・奈良旅行 今井町①

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使用カメラ:ソニーα55
担当:アル姉

3/19(日)


今井町
r-DSC09368.jpg(今西家)
今井町(いまいちょう)は、奈良県橿原市の中部に位置する地区で、1679年(延宝7年)に江戸幕府から「今井町」と呼称することを許され、1~4丁目がある。戦国時代の寺内町が原型となり、今も江戸時代の建造物が多数存在するため、町域の一部が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。(wikipediaより)

今井町散策マップ。
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重伝健の選定を受けたのは平成5年。東西約600m、南北約310m、面積にして17.4haの地区内には、全建物数約1500棟弱のうち、約500棟の伝統的建造物があり、全国で最も多いとされる規模です。

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まずは町の入口にある今井まちなみ交流センター「華甍(はないらか)」で今井町についての予習をしましょう。映像や模型、資料などが展示されています。午前9時~午後5時まで(最終入館は4時30分まで)、入館料は無料。

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ちなみに駐車場もここにあります。アルキング号だと微妙にアウトな感じのゲートでした。

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模型。今井町は天文年間(1532~55)、本願寺の今井兵部によって建てられた称念寺を中心として、一向宗の布教拠点として誕生しました。非常に練られた都市計画のもとに寺内町として発展し、他宗派や大名などの攻撃を避ける為に、周辺に濠と土居を巡らせ、僧侶や門徒を守るための武力が備えられました。模型やマップを見ても、見通しのきかない筋違いの道路、環濠で囲まれ橋でしか出入りできなかった構造などがわかりますね。

以前岡山県の鴨方にある高戸家住宅を紹介しましたが、高戸家はこの今井町の出身で、一向一揆などの戦乱を嫌い移住したという話でした。今井町は一向宗の寺内町でしたから、一向一揆の折にはやはり織田信長と敵対しますが、本願寺の降伏や、交流の深かった堺の豪商と明智光秀のはからいなどで武装を放棄することになります。そして信長は武装放棄を条件に「萬事大坂同前」として、今井町に大坂と同じように自治権を認め、今井町は取り壊しを免れるだけでなく信長から自治権までもを与えられました。江戸時代には今井札という独自通貨が流通するほどに栄え、「大和の金は今井に七分」と言われるほどの商工業都市として発展していったのです。

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展示パネル。

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豊田家住宅の模型。写真手前が東、右手が北です。

非常に広いので全ての通りを歩くのは無理かなぁ・・・。とりあえず歩き始めます。まずは南東から西にある今西家住宅を目指します。
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南尊坊通り。歩き始めるとまもなく、通りが早速折れ曲がっています。

春日神社(マップQ)
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旧常福寺。江戸時代には常福寺の鎮守として春日神社が祀られていたが、明治の廃仏毀釈で常福寺が廃寺となり、春日神社だけが残っています。境内には常福寺の本堂である観音堂や門が残されていました。

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春日神社の北の通り。

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環濠復元。この左手、今西家の南に織田信長の本陣があったとされています。今はほとんどが埋められてしまっていますが今井町全体がこのような環濠に囲まれた環濠集落でした。

今西家(マップA)
今西家は代々今井の惣年寄筆頭をつとめた家筋で、領主・代官の町方支配の一翼を担い、自治権が委ねられていました。元々は川井姓を名乗っていましたが、5代目川井長左衛門正冬のとき大坂夏の陣の功により、元和7年(1621年)5月郡山城主松平下総守忠明(徳川家康の外孫)より今井町の西口にあることから今西姓を名乗るようにすすめられ今西家を名乗るようになります。
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西から。 外壁は白漆喰塗ごめ。大棟の両端に段違いに小棟を付け入母屋造りの破風を前後くい違 いにみせ(八棟造り)、本瓦で葺いて堂々とした城郭風の外観になっています。説明してくださる町の方々が皆口をそろえて「二条城みたいに」とおっしゃるのが印象的でした。

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北から見ると普通に町屋風ですね。

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2段の壁には、向かって右方に川井氏の定紋を入れ、左には旗印を付けています。

今西家は棟上札から慶安3年(1650年)の建立であることがわかっており、今井町で最も古い民家です。総年寄りをつとめ司法権・行政権を委ねられ、お白州をもつという有名な家でもあるため、アル一家もここの見学だけはしたいなと思っていました。見学は要予約で一人400円。当日に何度か電話をかけて無事見学することができました。写真はご自由にと言われるのですが、案内してくださるご婦人は途切れることなく説明を続けてくださいます。そして次のお客さんが待っていたため終わるとすぐ追い出されてしまったので、実際にはあまり写真を撮ることができず残念でした

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居室は6間取。今井町の基本的な間取りです。納戸の敷居は一段高くなっており、「帳台構え」というそうです。

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通用口から中へ。

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土間。ここがお白州となっていた場所です。左手に式台がありますがたいそう立派でした。土間と居室の間には猿落しつきの板戸があり完全に遮断することができるようになっています。

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左上にあるのはいぶし牢(男性用)の入口。この右側にも女性用のいぶし牢があります。中は窓もなく、軽微な犯罪を犯したものの罪を認めない場合などに、閉じ込めて煙でいぶし、罪を白状させたのだとか。おっかないですね 左下の消火設備横の扉が牢屋に繋がる扉。牢屋は現在は焼失しています。

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手前は「なかのま」、お白州での裁きはここから行ったのでしょうね。奥が「なんど」。納戸というと物置的なイメージですが、主人の寝室であり、許可なく勝手に入ることはできない部屋でした。3方向の敷居は一段高く作られていて、敷居が高いと言う言葉の語源になった造りだそうです。そしてやはり猿落としとよばれるオートロックのような構造の戸で完全に戸締りをすることが可能になっています。厳重な造りですね。

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土間の天井。広い土間ですが柱がありません。大梁を3本を通すことで広い空間を確保しているのです。3本の梁のうちの一本(手前)は、昭和の解体修理のときに新しく取り替えられたもので残念ながらひびが入っています。

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お庭と結界石。結果石は立ち入り禁止を意味しています。お庭の左手に蔵のように見えている建物が現在今西家の方々が住んでいる住居。旧今西家の外観を損ねないためにも増築するときに蔵を模してつくられたそうです。そのため窓もないのだとか。今井町、今西家という文化財を保存するために住民の方々は大変な苦労と努力をなさっているのですね。

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今西家東側。

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今西家の前を通る道路は、折れ曲がって小さい枡形になっています。2階の窓は町内の道を真っ直ぐに見通す位置に作られていて、西の守りの要であったことがよくわかります。

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本筋通り、西方向。今西家が接しているメインストリートと言える通り。

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今井町はカフェやお土産屋さんなどは少ない方だと思いますがこの通り沿いには色々ありましたよ。

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こんな自販機もあってびっくりです。お豆腐やさんの自販機ですよ。美味しそうなお豆腐や油揚げ、豆乳などが売られています。

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本筋通り、東方向。電柱はありませんね。一番絵になる通りなのでしょうか、スケッチをしている人がたくさんいました。

長くなりそうなので分けます。

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テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

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