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2017'02.05 (Sun)

庭瀬街歩き その①

画像をクリックするとアップロードサイズでご覧いただけます。
使用カメラ:ソニーα55
担当:アル姉

1/22(日)

今年初めてのアルキング号の出動はとても近場ですが岡山市北区「庭瀬」でした。庭瀬の街並みと庭瀬城跡・撫川城跡が目的ですが、周辺に犬養毅(木堂)の生家と記念館があるのでまずはそちらへ向かいます。

犬養毅とは?
犬養毅は岡山県出身の政治家。号は木堂。慶応義塾に学び、西南戦争の折には従軍記者を務める。明治15年立憲改進党の結成に加わり、明治23年(1890年)、帝国議会開設に伴う第1回衆院選の岡山3区で当選以来、五・一五事件で暗殺されるまで連続18回当選。政党政治の確立と普通選挙制度の実現に尽力し、大正期の憲政擁護運動でも活躍し、憲政の神様と呼ばれた政治家でした。

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川入交差点そば(新幹線高架横)に立派な駐車場があります。

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駐車場から少し離れていて道がややわかりにくいという話を聞いたことがありますが「木堂こみち」の看板やプレートでしっかり道案内されているので迷わずにたどり着けました。
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表門

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初当選の記念に植樹したというクスノキが立派に枝を広げています。

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国指定重要文化財 犬養木堂生家
犬養毅(木堂)は、安政2年(1855)この地に生まれた。
明治23年(1890)36歳で衆議院議員に初当選し、以後、憲政擁護運動の先頭に立った。
昭和6年(1931)内閣総理大臣となったが、翌年の5月15日首相官邸において兇徒に襲われ、
「話せばわかる」の言葉を最後に志なかばにして没した。
犬養家は、代々庄屋や藩の要職を勤めた農家で、この生家は江戸時代中期に建てられたものである。
この地方の近世民家の代表的なものとして価値が高く、国の重要文化財に指定されている。
老朽化がはなはだしかったため、昭和54年(1979)解体復元したものである。

(現地案内板より)

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手前から上端・中の間・座敷

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台所

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蔵前

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蔵、井戸、木堂塾。

大庄屋の家ということもあってなかなか立派なお家です。明治元年、木堂が13歳の時に父が病死し、脇の部屋で近所の子供たちに教えていたというエピソードが残っており、木堂塾はそのエピソードにちなんで昭和56年に建てられた新しい建物です。10歳で経学を修め、13歳で塾を開いていたというのですから驚きです。その後まもなく倉敷へ出てしまったそうなので、この生家で過ごしたのは少年期までということになりますね。

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小川を挟んで生家の横に建てられた記念館です。入館料は無料。毎週火曜日定休。比較的新しい印象で平成5年の開館だそうです。

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中庭も綺麗。常設展では直筆の書や手紙、愛用の筆や硯、五・十五事件のとき血染めの座布団などが展示されています。血染めの座布団はちょっと生々しくてびっくりしますね。20分ほどのDVDも視聴でき、生い立ちから暗殺に至るまでの木堂の生き様を学ぶことができます。

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大正14年(1925年)、普通選挙法が通過、成立すると、犬養毅は政界引退を発表し、長野県の白林荘で隠遁の身となりました。しかし、自身の補欠選挙で地元岡山の支援者が勝手に立候補させ当選、犬養はこれをやむなく受諾しますが、政界ではあまり活躍せず白林荘で過ごす時間が多かったのだそうです。しかし、昭和4年(1929年)、田中義一の急死により、犬養毅が政友会総裁に就任昭和6年(1931年)76歳にして第29代内閣総理大臣となり犬養内閣を発足。五・一五事件で凶弾に倒れるのはその翌年のことでした。

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五・一五事件、教科書で習いましたよね。昭和7年(1932年)、5月15日首相官邸にて海軍青年将校らが侵入し、犬養毅がその凶弾に倒れた事件です。このときの「話せばわかる」という言葉は有名でしたが、私はこれを命乞いのような言葉だと勘違いしていたことがあります。字面だけをとらえるとそう思ってしまいますよね。ところが実際は・・・

官邸に侵入した将校の一人は出会い頭に引き金を引いたが不発におわります。それに対して木堂は「撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう、ついて来い」と彼らを引き入れ話をしようとしたのです。その後3発の銃弾を受け、駆けつけた女中に対して言ったのが「今の若造を連れ戻せ、話して聞かせることがある」という言葉だったのだそうです。

自分が撃たれたあともなお「話せばわかる、話をしよう」と言えるものなのでしょうか。木堂の「話すこと、議すること」を信条とする心の強さにとても驚かされました。

記念館では昭和7年の総選挙の為に録音したレコードで木堂の肉声を聞くこともできました。

YouTubeにあげられているものもありますのでリンクを載せておきます。

そう言えばこんなポスターがありました。
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交通安全のポスターのようですが、いまいち意図がわからない起用です(苦笑)

この後は庭瀬の街歩きですが、長くなったのでまた次回。

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