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2016'08.01 (Mon)

温羅伝説を訪ねて(前編)

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担当:アルパパ、カメラ:SONY α55

=矢喰宮・鯉喰神社=
7月18日

先に、吉備の中山と鬼ノ城をご紹介しましたが、岡山では、吉備の中山、鬼ノ城と来れば温羅(うら)伝説が定番となります。

温羅伝説とは、(Wikipediaより)
温羅は吉備の外から飛来して吉備に至り、製鉄技術を吉備地域へもたらして鬼ノ城を拠点として一帯を支配したという。吉備の人々は都へ出向いて窮状を訴えたため、これを救うべく第10代崇神天皇は、第7代孝霊天皇の子で四道将軍の1人の吉備津彦命を派遣した。
吉備津彦命は現在の吉備津神社の地に本陣を構え、温羅に対して矢を1本ずつ射たが矢は岩に呑み込まれた。そこで命は2本同時に射て温羅の左眼を射抜いた。すると温羅は雉に化けて逃げたので、命は鷹に化けて追った。さらに温羅は鯉に身を変えて逃げたので、吉備津彦は鵜に変化してついに温羅を捕らえ、討ったという。
討たれた温羅の首はさらされたが、なお首には生気があり、時折目を見開いてはうなり声を上げた。気味悪く思った人々は吉備津彦命に相談し、吉備津彦命は犬飼武命に命じて犬に首を食わせて骨としたが、静まることはなかった。次に吉備津彦命は吉備津宮の釜殿の竈の地中深くに骨を埋めたが、13年間うなり声は止まず、周辺に鳴り響いた。ある日、吉備津彦命の夢の中に温羅が現れ、温羅の妻の阿曽媛に釜殿の神饌を炊かせるよう告げた。このことを人々に伝えて神事を執り行うと、うなり声は鎮まった。その後、温羅は吉凶を占う存在となったという。

この温羅伝説は疑問だらけです。
鬼ノ城の築城時期は、7世紀後半、飛鳥時代後半と見られています。当時、大陸には唐、半島では新羅が全盛期を迎えており、これらの侵攻に備えて、大和王朝は、各地に城を築いたとされており、鬼ノ城はその一つといわれています。一方、崇神天皇の在位期間となると、諸説あり、時期的には紀元前数十年~350年頃までの幅があります。
また、別の記録では、「第11代垂仁天皇のとき、百済の王・温羅が九州へ、そして吉備の国へきた。城を築いて、西国から都への貢ぎ物を略奪」とありますから、もう少し、時代が下るのかも知れませんが、いずれにしろ、弥生時代の終りから古墳時代に掛けての頃と考えられ、鬼ノ城とは明らかに時代が合いせん。
結局、大和王朝が温羅と戦ったのは弥生時代の終わりごろで、日本統一途上の戦いであったと考えるのが妥当でしょう。その頃には鬼ノ城は勿論ありません。
さて、吉備津彦命は果たして実在の人物なのでしょうか。
崇神天皇は事蹟の認められる最初の天皇といわれており、崇神天皇=神武天皇説さえあります。その間の第2代~第9代の天皇は欠史8代といわれ、事蹟が認められていないので、実在性に疑問が持たれています。ですから、第7代孝霊天皇の子の吉備津彦命もどうなのだろうと思うわけです。

【矢喰宮】
では、矢喰宮からご紹介します。
吉備津彦の射た矢と温羅の投げる岩とが噛み合って落下したという地点に建てられた神社。場所は、岡山自動車道の岡山・総社ICの直ぐ東です。立派な駐車場があります。
矢喰宮

水田の広がる中にポツンとある小さな神社です。
ご祭神は吉備津彦命の弟である若建吉備津日子(わかたけきびつひこ)の孫、吉備津武彦命。
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参道から見た景色。大きな岩が眼に入ってきます。
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大小合わせて5つの岩があります。古代の磐座信仰の跡でしょうか。

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説明によると、温羅は百済の王子であったということです。

【日本人の起源と大和政権の誕生】
最初に日本列島に住み着いたのは、西日本では南方系の民族、北日本では北方系民族であったと思われます。ルーツは違うのですが、これらを一括りに縄文人と呼んでいるのだと思います。弥生時代になると、日本列島に多くの民族が流れ込んできて混血種が誕生します。流れこんできた民族は、中国の呉・越人、山東半島あたりの倭人、除福一族、弓月君の秦氏。更に、加羅、百済、新羅人。更に、加羅、百済が滅びるときには大量の難民が流入します。これらは、主として西日本に流入してきました。東日本にも、高句麗人が入ってきますが、東北から北は、比較的、縄文人の特徴が残っていたといわれています。これら流入民族は、稲作、鉄器等の高い文明を携えて来たわけで、各地で土着の縄文人と混血し、それぞれの勢力圏を築いていきます。西日本に入ってきた人々は、呪術や祭祀で国を治め、東日本に入ってきた人々は武力で国を治める傾向が強く、後の武士団は東国から発生します。

弥生時代の末期には、こういった集団が各地に王国を建てていたものと思われます。吉備も、出雲、北陸、尾張等と並ぶ有力な王国であったと考えられています。やがて、中国が唐で半島が新羅で統一されると、日本もこの勢力に対抗するため、統一政権を作る必要に迫られ、各王国による連合政権が畿内に成立します。これが、最初の統一王朝の発祥の姿ですが、やがてこの中央の権力を簒奪したものが、各王国の併合を進め、日本統一を果たします。温羅伝説も、その過程における吉備王国平定の物語であろうと考えられます。

滅ぼされた吉備王国に関する歴史は、ほとんど残されていません。この地方には、全国第4位の造山古墳(全長360m)と第9位の作山古墳という、巨大前方後円墳がありますが、これらが作られたのは、5世紀前半から半ばごろと見られており、吉備津彦命の温羅征伐と鬼ノ城建設の間になりますが、そうなると、中央勢力による平定が終わった後のことであり、では、この巨大古墳の被葬者はだれなのかという疑問がまた生じます。

う~ん。だれか、謎解きをしてくれませんか。

疲れてきたので、文章はこれぐらいにして、後は、さっと写真を並べていきます。

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随身門

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拝殿。本殿は撮り忘れです。

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神社なのに、何故か鐘が。

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直ぐ西に流れる川が血吸川。

矢で射抜かれた温羅の左目から流れた血が川を赤く染めたとありましたが、当時このあたりは海だったとも言われており、そうなら、川はもっと上流にあったのでしょうか。
古代吉備は、有数の鉄の産地だったので、鉄穴流しの砂が流出して川床が赤くなったために名づけられたという説もあります。温羅が鉄器文化を携えてこの地に定着し、この地を治めたということなのでしょうか。奥の山の当りが温羅の居住地であったと思われます。

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血吸川の土手から見た矢喰宮の杜。血生臭い伝説とは無縁な長閑な田園風景です。


【鯉喰神社】
矢喰の次は、鯉喰です。ここは、鯉に姿を変えて逃げた温羅を、鵜に姿を変えて追った吉備津彦命が捕らえたところ。矢喰宮から、南東へ3kmほど離れたところです。
鯉喰神社
左上に見える大きな古墳が、先に述べた造山古墳です。
また、右下の団地の中にある小山、ここに楯築遺跡がありますが、ここは後編でご紹介したいと思います。
鯉喰神社には駐車場がありませんので、アル一家は、直ぐ北の県道270号線の駐車スペースに車を停めて少し歩きました。
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鯉喰神社のご祭神は、夜目山主命(ヤメヤマヌシノミコト)、夜目麻呂命(ヤメマロノミコト)、狭田安是彦(サタアゼヒコ)、千田宇根彦(センダウネヒコ)。吉備津彦命の従者のようです。討ち取られた温羅を祀る神社と思っていたのですが、そうではないのですね?

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でも、この説明板には、村人が「それ」を祀ったとあります。「温羅がここで落命したこと」を哀れんで祀ったのかも知れませんね。後に、ご祭神がすり返られたのかも?

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小奇麗な髄身門から、拝殿を望む。

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髄身門から拝殿の間は傾斜になっていますが、この神社は古墳の上に作られたものだとか。
それで、こんもりと盛り上がっているのですね。

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本殿。

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最後に、狛犬ですが、岡山では昨年来、ちょっと話題になっていました。
どんな話題かというと、こういう備前焼の狛犬が頻々と盗難にあっているというのです。この狛犬さんもその一つ。10万円程度売れるのだとか。幸い、今年の4月に犯人が捕まり、無事に帰ってきました。もう、他所へお出かけにならないよう、足元は、セメントでしっかりと固定されていました。

しかし、血吸川のところでも書いたように、当時、この辺り一帯は海だった可能性があります。となると、これら伝説の地はどうなのでしょうね。考えるほどに何だかよく判らなくなります。ない知恵を絞って謎解きをしようとしたので疲れました。
続きは、後編ということで、楯築遺跡と吉備津神社をご紹介します。

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テーマ : 岡山県 - ジャンル : 地域情報

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