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2013'12.31 (Tue)

2013伊勢旅行記その5

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使用カメラ:SONY α55
担当:アルパパ
前記事:2013伊勢旅行記その4

大神神社の後に、もう一つ向かう先が残っています。大神神社から程遠くないところにある箸墓古墳です。ここは駐車場がなさそうなので、片道2kmを歩いて訪ねることにします。

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こんな標識がありました。

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道すがら望む三輪山。

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振り向けば、箸墓古墳もすぐそこです。

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近くに来ると、古墳が大きすぎて全貌がつかめません。

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ここが前方部の正面ですね。
箸墓古墳。第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲媛(やまとととひももそひめ)命の陵墓とされており、宮内庁の管理下にあるため、立入りはできません。卑弥呼の墓ではないかとも言われていますが、調査もできません。
箸墓の由来は、日本書紀に書かれています。孝霊天皇の皇女である倭迹迹日百襲媛は大物主神の妻となりましたが、夫である大物主神は夜にだけ訪れて姿を見せません。そこで媛は夫に姿を見せてほしいと頼みました。すると翌日、大物主神は櫛笥(くしげ:櫛や化粧道具を入れておく箱)に入った小さな蛇となって現れました。ところが、それを見て媛が驚いた為、大物主神は怒って三輪山に隠れてしまいました。媛はこのことを後悔し、陰部を箸で突いて自害しました。このため、媛を葬ったこの墓を箸墓と呼ぶようになったのだそうです。この日本最古の巨大古墳は、昼は人が作り、夜は神が作って完成したとか。

夫神である大物主は三輪山に祀られ、妻である倭迹迹日百襲媛命は直ぐ近くの箸墓古墳に葬られていることになります。

この倭迹迹日百襲媛命をご祭神とする神社が、アル一家の住む岡山県にはあります。まずは岡山神社。岡山城本丸の地に鎮座する古社ですが、ここでは主祭神として祀られています。それから吉備津神社、吉備津彦神社という備前・備中・備後の総鎮守であったり、備前国一之宮だったりという有名な神社ですが、この2社では、主催神は桃太郎として有名な吉備津彦命で、倭迹迹日百襲媛命は相殿となっています。それは、吉備津彦命が倭迹迹日百襲媛命の弟だからかも知れませんが、それにしても、何故、岡山県に多いのか。岡山は、これまた有名な謎の古代吉備王国があったところ。倭迹迹日百襲媛は吉備王国と繋がりがあるのか? 謎が謎を生み、頭の中がぐちゃぐちゃのアルパパであります。

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箸墓古墳を北に回りこみと溜池があり、やっと、全貌が見渡せます。といっても、15mmの広角レンズでも端から端までは写せません。全長約280m。皇女の墓としてはあり得ない規模で、卑弥呼の墓説が広がりを見せるのももっともと感じます。右が前方部です。手前の池は、箸中大池といい溜池100選に選ばれているそうですが、訪ねたときは、すっかり干上がっていました。

箸墓古墳
この箸墓古墳、航空写真で見ると実にきれいな鍵穴形をしています。正に古代史を解き明かすための扉がここに隠されているのでしょう。


これにて、今回の旅行記は終了です。昼食後、予定を一日早めて帰路に着きました。ナビ任せで、右へ左へと言われるままに大阪の街中を通り抜け 18:00に無事帰着しました。

さて、大神神社と箸墓古墳を巡る謎。
とても興味深い話を紹介して締め括りとします。興味がおありでしたら、続きをお読みください。

【続きを読む】

この話はある人が神霊界から伝えられたという話なので、実証の術はありません。読む方がどのようにお感じなるかということでお願いいたします。

3世紀、中国の呉が滅びるとき、王族の姫2人が日本に逃れました。姉はアマテラス、妹は稚日女(わかひるめ)といい、アマテラスは五島列島を経由して北九州に至り、邪馬台国を作り、稚日女は四国を経由して近畿に至り、秦氏の後ろ盾の元、倭国を作り上げました。その結果、西日本は、この2国と先住の出雲国の3つが鼎立することになったわけですが、特に、出雲国と邪馬台国は仲が悪い。そこに倭国の秦氏が仲裁に入って、統一国家を作ろうということになりました。
話合いはまとまり、都は奈良の纒向に、王は出雲から大物主(この話の中では大国主の子孫とされています)、后には邪馬台国からイトが選ばれて統一国家がスタートしたのですが、纒向京の造営途中で邪馬台国の神武がクーデターを起こし、倭国を簒奪してしまいました。これが神話で、神武東征と呼ばれるものです。
大物主は殺され、祟り神として大神神社に祀られ、イトも惨殺されて箸墓古墳に埋葬されました。イトは倭迹迹日百襲媛のことであり、卑弥呼でもありました。この後、纒向京は完成することなく放棄されてしまいます。
イトが何故、卑弥呼か? ということですが、実は、卑弥呼は人名ではなく、シャーマンの呼び名であり神の言葉を伝える人のことをいいます。そして、神の言葉を実行するのが王ですね。これが古代の政治のやり方です。ということで、イトは何代目かの卑弥呼であったわけです。

さて、次に、大神神社と元伊勢を巡るお話。
天照大神が伊勢神宮に鎮座するまでに、各地を転々としながら、一時的に祀られたという伝承を持つ神社とその場所を元伊勢といいます。天照大神は、第10代崇神天皇の時代(3世紀)までは天皇と「同床共殿」であり、皇居内に祀られていましたが、その状態を畏怖した同天皇が皇女・豊鋤入姫命にその神霊を託して倭国笠縫邑に移しました。これに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在の伊勢に遷座したとされていますが、これも、神武クーデター後の各地の不穏な状況を収めるため、大神神社のご祭神、大物主の神霊を持ち出して激戦のあった地域の出雲族を慰撫して回り、最後に伊勢の地に鎮めたというのが真実だそうです。

いかがでしょう。どのように感じられたでしょうか。

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