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2013'12.29 (Sun)

2013伊勢旅行記その3

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使用カメラ:SONY α55
担当:アルパパ
前記事:2013伊勢旅行記その2


12/21(土)
6:00、朝食を済ませ、外宮へ向けて出発。6:50外宮到着。既に、30台ぐらいの駐車車両が。昨年は4、5台だったかな?

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いつも早すぎて、垣間見るだけの遷宮館。

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それでも、少し待てば、人のいない瞬間を写すことができます。静かにお参りするには早朝に限ります。

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遷御を終えたご正宮。家族の一年の無事を報告しお礼申し上げました。

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皆が手をかざす三つ石と亀石。
実は、ここは関東から九州まで日本を貫く巨大な裂け目、大断層、有名な中央構造線が通る場所。当然、地球内部からエネルギーがほとばしり出ている場所ですから、紛れもないパワースポットなんですね。エネルギーに敏感な人は是非感じてみてください。昔々は、宮川がここを流れていたとか。断層の上の地層は脆いので川になっていることが多いのです。和歌山県の紀ノ川も徳島県の吉野川も中央構造線上を流れる河川です。

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風宮。土宮。

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下御井神社(しものみいのじんじゃ)。ここは新しくなっています。ご祭神は下御井鎮守神(しものみいのまもりのかみ)、外宮の御料水の守護神、水の神とされます。昔、格式の高い多賀宮では神饌を調製する忌火屋殿(いみびやでん)を独自に持っていましたが、それが明治時代に廃された後、井戸だけが残されて下御井神社になったそうです。私の前に参拝された方が、祓詞に始まり祝詞を奏上されていたので、静かに待っておりましたが、ふと、振り向くと私の後に列が! 何ということでしょう。今まで、こんなの見たことがありません。ここは、片隅で、いつもひっそりとしていたのですが・・・。遷宮記念のガイド本がたくさん出たのでしょうね。なお、一般は立入ることが出来ませんが、外宮境内の所管社には、下御井神社と対をなす上御井神社という神社もあります。

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遷宮なった多賀宮。ご祭神は豊受大御神荒魂。多賀宮の上の樹々は何時見ても金色に輝いています。そして、アルパパはいつもこれを見てうっとりするのです。

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旧のご正宮は奥まで扉が開け放たれています。


外宮の参拝を終えたアルパパは、今回、初めて外宮・別宮である月夜見宮を目指して歩を進めていきます。

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神路通(かみじどおり)。外宮から月夜見宮へ続く小路。月読尊が豊受大神の元へ通う道なので「神路通」なのだそうです。月読尊は宮の石に杖を当てて白馬に変え、それに跨って通ったとか。

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月夜見宮。

以上で、伊勢神宮参拝は終了です。
ここで、アルパパが神宮の謎に迫ります。
興味がおありでしたら、続きをお読みください。

【続きを読む】

神宮の謎
伊勢神宮は謎の多いところです。内宮のご祭神は天照大神、外宮は豊受大神とされていますが、真実はどうなのでしょうか。
ご承知のように、天照大神は日本神話に登場する太陽神です。多くの場合、太陽神は男神であることが多いのですが、日本神話に登場する天照大神は何故か女神です。このようにいきなり謎に突き当たります。この謎に関して、例えば、古い伝統を持つ京都・祇園祭の岩戸山のご祭神である天照大神は凛々しい男神の姿をしています。もし、これが本来の天照大神の姿であるとすれば、天照大神=女神には、後付された意図があるものと思われます。

さて、日本神話の原型は伊勢神話にあるとされています。天皇家が平定した伊勢地方の神話を取上げて、都合の良い神話に仕立て上げたといわれています。記紀が編纂されたのは女帝の持統天皇の時で、天皇は自分の子である草壁皇子が亡くなった後、孫である軽皇子(後の文武天皇)に皇位を継がせたい一心からこの神話を作り上げたという説が有力です。つまり、天照大神(=持統天皇)が孫であるニニギノミコト(=文武天皇)に葦原の中つ国(=日本)を治めさせたという構図が必要だったということですが、その時に天照大神という神格が作り上げられたということですね。

そして、壮大な神殿、内宮を建設し、次いで、外宮を建設して保食の神である豊受大神を勧請、これを土地の有力な豪族であった度会(わたらい)氏に祀らせた。ところが、度会氏は従う振りをしながら、実際に祀ったのは伊勢大神といわれる神であったようです。外宮ご正宮の床下には度会氏の手により「心(しん)の御柱」と呼ばれる木の柱が埋められており、この事実は秘中の秘とされていますが、今回の遷宮でも新たな「心の御柱」が埋められた筈です。度会氏は代々外宮の神官を勤めており、特に13世紀の度会家行は伊勢神道を大成させたことで知られていますが、その中で、外宮に祀られている豊受大神とは、実は宇宙根源神である天御中主大神と天地を司る国常立大神であり、内宮の天照大神より上位であると述べています。

過去の記事でもご紹介しましたが、ブルガリアの世界一の超能力者といわれたベラ・コチョフスカが外宮を訪れたとき、多賀宮の丘に駆け上り、大地に口付けして「ここにヤハウェがおわします」といって涙を流しました。ヤハウェは旧約聖書の唯一神、聖書の中で「主」といわれている神のことであり、日本では国常立大神のことです。こういう逸話からも、度会家行の主張には肯けるものがあるように思います。霊視のできる人が外宮ご正宮や多賀宮を見ますと天に昇る金色の光の柱が見えるようです。

実は、持統天皇以降1000年以上、天皇は伊勢神宮には参拝されていません。明治になり国家神道が国を治めるための思想の中心に置かれることになって始めて明治天皇が参拝されています。やはり、代々の天皇は天照大神を天皇の祖霊とは考えていなかったのでしょうか。


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