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2013'01.20 (Sun)

亀岡・綾部 聖地を訪ねて その弐

※今回の旅レポはアルパパの担当です。

大本 天恩卿

大本本部・亀岡宣教センターである天恩卿は、出雲大神宮から車で10分ほどのところ、亀岡市中心部、亀山城跡にあります。

亀山城は明智光秀が丹波攻略中に拠点として築城したもので、江戸時代初期に大修築が行われました。藤堂高虎が縄張りを勤め、1610年に完成、本丸には5重の層塔型天守が築かれました。その後、明治に至り、廃藩置県の後、荒れるに任せていた郷土の城を憂い、大本の出口王仁三郎(亀岡出身)が、1919年これを購入、綾部に並ぶ拠点にすべく整備を行いました。

出口王仁三郎については、作家・吉川英治が「1000年に一度出るかでないかの傑物」と評したようにあまりにも多くの逸話があるので、ここでは触れませんが、もし、興味がおありでしたら、Wikipediaをご覧ください。これでもかと言うほどの記述があります。

大本は、王仁三郎の下、人類愛善・万教同根の理想を掲げて急速に信者を増やしていきますが、陸海軍の上層部、華族までが信者となるに及んで、政府は危機感を抱き、2度に亘り大本の弾圧を行いました。特に、1935年から1945年に至る第二次弾圧は、大本を抹殺すべく、教団幹部を長期にわたって未決拘留した上、全国の教団施設を爆破するという近代史上空前の宗教弾圧、思想弾圧でありました。

その際、ここ亀山城も石垣諸共爆破され、跡形もなくなってしまいましたが、結局、王仁三郎たち幹部の無罪が確定、その後、信者たちの手によって現在の形に石垣の修復が行われ、建物が再建され、今日に至っています。

さてさて写真です。

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みろく会館。大本開教120年の看板が。
大本の大発展は王仁三郎の力によるものですが、開教は出口なおの神懸かりによる自動書記に始まります。「艮の金神」と名乗る神から、乱れた世の立替、立直しのメッセージが伝えられたのですが、王仁三郎の審神により、この神は国常立大神と判明します。1892年のことでした。

「艮の金神」は祟り神として世に知られていますが、実は、太古の昔、悪神たちが謀議して国祖・国常立大神を無理矢理引退させて、艮(北東の方角)に押し込んだ上に着せた汚名なのです。そして、一部では、世が乱れた後に、世の立替、立直しのために復活すると言い伝えられてきました。その艮の金神が、いよいよ、復活宣言をしたわけです。

また、薀蓄が長くなりましたので、次にいきましょう。

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亀山城を見学するには、案内図の左手にある、みろく会館に申し出ることが必要です。

みろく会館に申し出ると、「よろしければ、2階のギャラリーを観ていってください」とのことで、先ずは、みろく会館2階の「ギャラリーおほもと」へ足を運びます。ギャラリーには、王仁三郎をはじめ、歴代教主の美術作品が展示されています。3ヶ月ごとに展示内容は変わるようです。現在は42点が展示されていました。

王仁三郎は多彩な芸術家としても知られ、生涯に詠んだ和歌は15万首超。
耀碗(楽焼茶碗)の製作は1926年、王仁三郎54歳のときと、1944年、73歳のときの2期に分けられ、特に後期には、1年余の間に3600点を製作したといわれ、しかも、それらは2年半に亘って海外で展覧会を開くほど芸術的にも優れた作品だったそうです。
また、王仁三郎といえば、壮大な叙事詩ともいえる「霊界物語」が有名ですが、全81巻83冊の膨大な量を、口述筆記により、僅か100日ほどで書き上げたそうですから、何をしても、その圧倒的なエネルギーは、常人ではなかったようです。
展示されているのは、耀碗の他に書、画等ですが、書は雄渾の気に溢れ、画は繊細です。

アルパパの興味を引いたのは、出口なお開祖の手になる「お筆先」。字の読み書きができなかった「なお」ですが、神懸かると手がひとりでに動き、字を書いたということです。ひらがなだけのたどたどしい字ですが、太く力のこもったものでした。
書き綴った量は、半紙20万枚といわれています。後年、王仁三郎がこれらを整理し、「大本神諭」として世に出しました。これは、「霊界物語」とともに大本の経典となっています。

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ギャラリーの外に向けて展示されている山水画。王仁三郎作。

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ギャラリー内は撮影禁止ですが、亀山城の模型があったので、これだけパチリ。
ギャラリーの見学を終え、次にお城へ向かいます。

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神教殿。修行の道場のようです。

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亀山城跡は聖地となっており、ここが天恩卿と呼ばれるようですね。

ここから奥は、手水社で手と口を清め、万祥殿でお祓いを受けた後、亀山城跡へ入ることができます。
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万祥殿。

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ここが、城門跡のようです。

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破壊され土に埋まっていた石が、信者の手によって一つずつ掘り起こされ積上げられ、石垣として見事に復活しました。

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この石垣の上に、月宮宝座と呼ばれる聖地の中心をなす石組みがあるらしい。

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四大主義碑。

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教学碑越しに大銀杏。銀杏の木は明智光秀手植えと伝えられるが、実際には江戸期に台風で倒れ、その後に若木を植えたものらしい。大本破壊の際にも、市民の反対により切り倒されずに残った。

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奇跡的に破壊を免れた井戸。

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月の輪台、瑞御霊(みずのみたま)大神。ここはどうも禁足地かもしれませんね。
城跡一帯は禁足地が多いのですが、どうやら迷い込んだようです。でも、すかさずパチリと一枚。岩というか石ですね。

【厳霊(いずのみたま)・瑞霊】
厳霊は父神であり、至厳至直、タテ糸の働き、火の働きであり、開祖なおは厳霊の神格に充たされて救世の基を開き、瑞霊は母神にして、至仁至愛、ヨコ糸の働き、水の働きで、聖師王仁三郎は瑞霊の神格に充たされて愛善信真の大道を示したとされています。

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伊豆能売観音坐像。んっ、首がない。これも、破壊の傷跡でしょうか。
伊豆能売は、神とも命とも呼ばれず、「古事記」の伊耶那伎命の禊祓の場面に、たった一度だけ現れる謎の神格でありましたが、王仁三郎はこの神霊を降下させ、一字を変えて、伊都能売神として甦らせています。伊都能売神は上に述べた厳霊・瑞霊が合一した至霊魂で、ミロクノ大神とも呼ばれます。そして、その説明に「仏教の唱える観音に等しきもの、神道における木の花姫命と称えているもの」とあります。それで、伊豆能売+観音=伊豆能売観音?
いずれにせよ、昔々、本で読んだ王仁三郎が目の前に次々と甦ってくる! と感激したところで、本日は終了することとし、そろそろ今日の宿泊地に向かいましょう。

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駐車場への道々、万祥殿横から「みろく会館」を望む。

宿泊地は、ここから車で5分、道の駅「ガレリアかめおか」です。


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Comment

出口王仁三郎、全く知りませんでした。
それを昔々本で読んだとは、あるパパも面白い本を読んでますね。
権力と宗教というのは昔から相入れない関係なのでしょうか。
権力側にとって都合の悪いのは、既得権益を侵害されること、
それは今も昔も変わらないようです。
mametaro | 2013年01月20日(日) 21:25 | URL | コメント編集

★mametaroさんへのお返事

出口王仁三郎は、1000年に一人出るかでないかの傑物というのは、
何かの折に聞いて知っていました。
1000年前の人なら、伝説上の遠い存在ですが、
出口王仁三郎は、私が生まれたときには、まだ存命中でしたから、
興味深々、色々と読みました。

権力は人を支配するための構造ですし、宗教もまた人を支配します。
その理念において相容れないところがあると、こんなことになるのでしょうね。
大本の場合は、天皇制批判と解されて、大弾圧を受けました。
アルパパ | 2013年01月21日(月) 17:04 | URL | コメント編集

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