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2016'08.22 (Mon)

温羅伝説を訪ねて(後編)

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担当:アルパパ

改めて【吉備津神社】
中編では、吉備津神社をご紹介する記事の中で、桜井識子さんのブログを引用しました。
http://ameblo.jp/holypurewhite/entry-12086338916.html
桜井さんは、吉備津神社には、騒然とした異空間があり、神様にお会いすることが出来なかったと述べておられます。アルパパは、縄文の神々が封印されているに違いないと断じましたが、その後、凛さんという方のブログに思いがけない一文を見つけましたので、ご紹介しておきます。
http://ameblo.jp/blissofgaia/day-20151015.html
http://ameblo.jp/blissofgaia/day-20151020.html
どうやら、封印されていた方々は、無事、光の世界に戻られたようです。めでたし、めでたし! それにしても、どちらも、2015年10月の記事。お互いに直接の面識はなく、日本とオーストラリアに離れたお二人の見えない世界での見事な連係プレーに拍手です。


【楯築遺跡】
さて、やっと、楯築遺跡です。ここは、吉備津彦命が温羅と対峙して陣を敷いたところといわれています。古墳の上には、不思議なストーンサークルがあり、その石を楯にして温羅の矢を防いだという伝説の場所です。
楯築遺跡
場所は岡山自動車道が山陽自動車道から分岐する岡山JCTの少し南です。
矢喰宮、鯉喰神社、そして造山古墳(地図の左上)が2km範囲内にあります。

楯築遺跡は、弥生墳丘墓と古墳群からなっています。弥生墳丘墓というのは、前方後円墳が出来る前の段階といわれており、この楯築遺跡の弥生墳丘墓は、規模的には全国でも最大級のものだそうです。
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矢喰宮には、温羅は吉備津彦命の矢に対して、大きな岩を投げて対抗したと書いてありましたが、あの岩が飛んできたら、この楯では何とも防ぎようがないですね。
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丁度、座るのによさそうな石も。
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真ん中にはお社があります。       昔は、ここに楯築神社があったそうです。

そしてそのご神体は、今は、ここに収められています。
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何とも不思議な石ですが、頑丈な窓もない収蔵庫の中で、普段は目にすることはできません。人の目にはよく見えませんが、写真にはきれいに写りました。

ここから少し南にいくと、王墓山古墳があります。
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ここには、石棺があります。

更に南にいくと、
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真宮(シンミヤ)神社。

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近くには磐座も多数。

このあたりは、山の中に散策路がよく整備されており、気持ちよく歩けます。
ただ、駐車場は少なく、キャンピングカーの駐車は難儀しそうです。


ついでに【造山古墳】
全長350m、全国第4位、天皇陵以外では最大の前方後円墳。5世紀半ば頃に作られたものといわれています。
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知らぬ間に、立派な駐車場と吉備大王の像ができていました。
後方の小山が古墳。左手が前方部、右手が後円部です。

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前方部には荒神社。

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神社の境内には、石棺がありますが、石室は後円部にありますから、ここまで運んできたのか、別の古墳のものか、古墳が未調査なので不明のままです。また、この石棺は阿蘇溶結凝灰岩で九州からわざわざここまで運んできたもののようです。岡山県の他の古墳の石棺も阿蘇山の石が多く使われていますが、昔の人はどうしてそんなに遠方から、しかも、どうやって運んできたのでしょうね?

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前方部から見た後円部。       後円部から見た前方部。

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平らな後円部。後円部から北を望む。あの山の麓には秀吉の水攻めで有名な備中高松城跡があります。
後円部が平らなのは、羽柴秀吉の毛利攻めの際、毛利方が陣地を設けるために頂上を平らにしたことによるものと考えられています。このとき、後円部の周囲に土塁を築き、さらに郭を2カ所、竪堀を3カ所設けているのだそうです。

この古墳の被葬者は誰か、古代吉備にはどんな王国があったのか、温羅とは誰だったのか、いつか謎の解ける日は来るのでしょうか。


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テーマ : 岡山県 - ジャンル : 地域情報

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