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2017'06.18 (Sun)

福岡旅行⑫  5日目 門司港

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使用カメラ:ソニーα55
担当:アル姉

長いですが福岡旅行記最後の記事になります。お付き合いくださいませ。

5/4(木)
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道の駅宗像で迎えた最終日の朝です。この道の駅は人気のスポットのようで車中泊をする車が60~70台泊まっていました。しかしながら夜間の間はトイレが3分の一程度しか使えなくなるため早朝はトイレが混雑して大変でした。

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道の駅の横には黒松のさつき松原が広がっていて遊歩道や自転車道も整備されています。わんちゃんのお散歩にもいいですね。

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この旅行でお馴染みとなった景色の麦畑と宗像大社にお別れして出発です。

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高速道路を使って門司港へ。門司港レトロなんて名前で観光スポットとしても人気になっているのです。

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駐車場は海峡ドラマシップ横のバス駐車場です。キャブコンだけど大丈夫かな?なんて心配をするのが嫌だったので事前にバス駐車場の方へ予約を入れておきました。1日1,000円です。

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関門橋。数日前対岸の壇ノ浦PAからこの門司港を眺めていたんですよね。楽しい旅行はあっという間に最終日です。楽しむぞ~っ。

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駐車場のある海峡ドラマシップは門司港レトロのメインゾーンとは少し離れています。

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門司港レトロMAP。

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⑦旧大阪商船。大正6年に(株)大阪商船門司支店として建てられました。

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1階にはカフェマチェールやわたせせいぞうのギャラリーなどがあります。

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⑧旧門司三井俱楽部。大正10(1921)年に三井物産の宿泊施設・社交倶楽部として建設されました。

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1階は観光案内所やレストランで2階(100円)にはアインシュタイン タイムメモリアルルーム(大正11年に講演旅行で来日したアインシュタイン博士が宿泊した部屋)と作家林芙美子の記念室があります。

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裏手。

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⑬門司港駅。楽しみにしていたのにまさかの修復中でした。ざんねーん

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本当ならこんな感じのネオ・ルネッサンス調の駅舎が見られたんですけどね。

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海峡プラザ前へ。

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船上レストラン。入ってみたいけどお昼時は混みそうだなぁ。

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1903年以降、バナナの産地である台湾から地理的にも近いことから、門司港ではバナナが大量に荷揚げされていました。大正時代初期に、輸送中に熟れてしまったバナナをできるだけ早く換金する為に始まったのが「バナナの叩き売り」なんだそうです。見るのはいいけど買わされては荷物になってしまう、と遠巻きに見ている人が多かった気がします。

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じーもくんとバナナマン、バナナマンブラック。

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あれ?何やら広場が賑やかですね。

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何事だろうと思って近づいてみると、門司海峡フェスタの真っ最中だったようです。屋台もいっぱい出ています。アル姉の近所のお祭りでは見たこともないような可愛くておしゃれな屋台にびっくりしているとアルママが「屋台がハイカラだね」なんていうから吹き出してしまいました

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門司学園吹奏楽部のステージ。思わぬお祭りに出くわしてアルママは大喜び。旅行を再開してから日程がかち合って地元のお祭りにあまり行けなくなってしまったので私も嬉しかったです

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ステージを見ながら焼きカレーとチャンラーをいただきました。どっちも美味しいっ。

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大道芸のヒロシさん。楽しませてもらったのでアル一家もチップを頑張っちゃいました。

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スタチューと呼ばれる動かない銅像芸や猿回しも。

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⑨旧門司税関。明治42年に門司税関が発足したのを契機に、明治45年に煉瓦造り瓦葺2階建構造で建設されたもの。昭和初期までは、税関庁舎として使用されていました。

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平成六年には北九州市が赤煉瓦を特注し、建物の復元を行い現在の外見になったそうです。喫茶店やギャラリーなどになっていてジュディ・オング倩玉版画展が開催中でした。時間があれば見たかったなぁ。つい最近岡山でもあったんですが行きそびれちゃいました。

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国際友好記念図書館。明治35年当時、大連市に帝政ロシアが建てたドイツ風建築物を模してつくられたもの。

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当時は東清鉄道オフィスとして使用されていたものを北九州市と大連市の友好都市締結15周年を記念して平成7年に複製建築されたもので、現在1Fは中華料理屋さんになっているようです。

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2F内部。温かみがあって落ち着いた雰囲気。アジアの文献を収蔵した市立図書館となっています。

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ブルーウィングもじという歩行者専用のはね橋が降りていました。みんな一斉に渡っています。恋人の聖地ですって。アルパパとアルママ、昔はよく恋人の聖地で写真を撮らせてくれたのに、最近は撮るとブログにのせられて恥ずかしいからと撮らせてくれなくなりました

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橋の方から見ると旧大阪商船と旧門司三井俱楽部が並んで見えます。

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海峡ドラマシップへ。こちらにある「海峡レトロ通り」に行ってみたかったのです。有料施設がメインですがレトロ通りは無料ゾーン。

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大正時代の街並みを再現したものだそうです。

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以前小倉の街を走っていたという路面電車も。

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1F部分はお土産屋さんにもなっていました。

門司港に滞在したのは4、5時間でしょうか。思わぬお祭りも楽しめて得した気分です。門司港レトロの海峡プラザでお土産をたくさん買い漁り、やっと帰路につくことになりました。

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帰り道、車で横を通りました⑤九州鉄道記念館。

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人気スポットみたいで駐車場も満車でした。九州で活躍した歴代の9車両が展示されているそうです。写真手前の赤い車両は前頭部だけの展示のようですね。485系電車のクハ481-246。入ってみたかったなぁ。面白そうです。

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何年振りかまったくわからない関門トンネルを通って本州へ。ひえー、こんなに狭かったっけな~ アル姉もほんの少し運転しつつ、ほぼアルパパ任せで夜には無事倉敷に到着しました。おつかれさま~

アルの一周忌を旅先で迎える福岡旅行になりました。家でゆっくりというより、GWにはいつもお出かけしていた我が家なので、やっぱり一緒にお出かけをしたほうがアルも喜ぶんじゃないかと思った次第です。それにキャンピングカーの中のほうがよりアルを身近に感じられる気がします。まだまだ毛もいっぱい出てくるんですもの(笑)

それにしても福岡って広い。5日かけても全然足りませんでしたね。香椎宮や筥崎宮もまだだし宮地嶽神社の奥宮も行きそびれてるし・・・これは再チャレンジがあるかなぁ?ずいぶん長い旅行記になりましたが福岡旅行記はこれにて終了です。次回は宮島の記事でお会いしましょう。

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2017'06.15 (Thu)

福岡旅行⑪ 4日目 そのⅢ 宗像大社

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使用カメラ:ソニーα55
担当:アルパパ

宗像大社へ着いたのは、16:00ごろ。歓迎の験か、少し雷も。

これまでもブログに書いてきた通り、昨年の秋以来、アル一家には 2つのテーマがあります。
一つは、行く先々、出雲族に関わりのある場所が多く、調べるに連れ、隠されていた出雲族の真実が明らかになってきました。

もう一つは、何故か、判らないのですが、弁天様に呼ばれていること。
よく、弁天様は市杵島姫命のことといわれます。宗像大社は、市杵島姫命をお祀りしているので、もしかするとここで、弁天様から、何かのメッセージを受取ることができるのか・・・という期待があります。


宗像大社
まずは、Wikipediaから抜粋です。

宗像大社は、福岡県宗像市にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社で現在は別表神社。日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社である。神宝として古代祭祀の国宝を多数有し、裏伊勢とも称される。

『宗像大社』は沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称であるが、現在では「辺津宮」のみを指す場合も多い。筑前大島には沖津宮遥拝所(瀛津宮)もある。地図上で辺津宮から11km離れた中津宮、さらに49km離れた沖津宮を線で結ぶと、その直線は145km離れた朝鮮半島釜山の方向に向かう。古代から大陸と半島の政治、経済、文化の海上路であった。古くから海上・交通安全の神としての神威にちなみ、信仰されている。
沖津宮のある海上交通の要所に位置する沖ノ島は、古来より島に立ち入り見聞きした事を口外してはならず「お不言さま」と呼ばれ、島全体が御神体である。そのため現在でも女人禁制であり、男性であっても上陸前には禊を行なわなければならない。これが男女差別だと言われることもあるが、これは島の神が女の神様(田心姫神)であり、女性が島に上陸すると嫉妬され祟りがあると言われているからである。昭和29年以来十数年に渡り沖の島の発掘調査が行われ、4世紀から9世紀までの石舞台や古代装飾品などの大量の祭祀遺物、この他に縄文時代から弥生時代にかけての石器や土器などの遺物が発見された。このことから、沖の島は「海の正倉院」と呼ばれており、有史以前の古代から海人族らの信仰の対象とされていたことが偲ばれる。

祭神
3社にそれぞれ以下の神を祀り、宗像三女神(宗像三神)と総称する。
沖津宮(おきつぐう) : 田心姫神(たごりひめ)
中津宮(なかつぐう) : 湍津姫神(たぎつひめ)
辺津宮(へつぐう) : 市杵島姫神(いちきしまひめ)

伝えられる伝承では日本神話に起源を持つ。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神が素戔嗚の剣を噛み砕き、プッと吹き出した破片から生まれたのが宗像三女神である。彼女たちはアマテラスの神勅を奉じて、皇孫ニニギノミコトを助けるため玄界灘に浮かぶ筑紫宗像の島々に降り、この地を治めるようになったのが宗像大社の起源とされている。

国宝
福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品・伝福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品 一括
沖ノ島の20数箇所の祭祀遺跡から発掘された一括遺物。1954年から1971年に至る第1次〜第3次の発掘調査で出土したもので、時代的には古墳時代から平安時代(4世紀〜10世紀)にわたる。中国・朝鮮半島製品を含む、各種の銅鏡、金銅製の馬具類のほか、土師器、三彩陶器、滑石製品、玉類、刀剣類などが出土品の主なものである。考古学、美術史、宗教史、古代史など、さまざまな分野の研究に資するところの多い、学術的にきわめて貴重な資料である。これら出土品は宗像大社の神宝館で公開されている。約8万点に及ぶ一括遺物の国宝としては、数量の上で日本一である。

それでは、順次、写真で紹介していきます。
宗像大社マップ

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駐車場に隣接して大きな建物。さすが、宗像大社はでかいと思ったら、祈祷殿、社務所らしい。

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(多分)二の鳥居。

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心字池にかかる太鼓橋。

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手水舎。お馴染みの柄杓がない。この水を直接手で受けるようになっています。

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神門の前に、この看板。ガ~ン。またもや、修理中。その代わり、三女神は揃って本殿におられるらしい。

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神門。

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拝殿。思ったより小さいく、簡素な造りです。

早速、参拝を済ませ、アル姉に「何か、見えた?」と訪ねると、
沖ノ島
「沖ノ島が見えた」 「えっ、沖ノ島??」

「何で、沖ノ島なんだろう」といいながら、奥へ進みます。
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本殿。

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ご神木の楢(なら)の木(樹齢 550年)。宗像大社の表紋は菊ですが、これは、宗像大社が、皇統守護の神勅を由緒としているからだそうです。そして、裏紋がこの「楢の葉」です。

ここで、回廊の外に出で、修復工事中の第二宮、第三宮へ向います。宗像大社では、第を「てい」と発音します。「ていにぐう、ていさんぐう」です。
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工事中のため近づくことも出来ませんが、幸い、ここは誰もいませんので、柵の外からアル姉は集中します。
すると、「字がいっぱい降りてくる」。これは、美保神社と同じで、よくあるパターンの一つです。「字がいっぱい降りてくる」ところは、波動の高いところですが、大量の字が降りてくるので、残念ながら意味はわかりません。
拝殿で降りてきた「沖ノ島」のイメージは、第二宮の方へ来なさい、というメッセージのように思います。そうすると、 ここで降りてきた文字は、田心姫神からのメッセージだったのでしょうか?
ただ、 田心姫神、 湍津姫神は、沖ノ島と筑前大島に祀られていることからもわかるように、自然のエネルギーを調整する役目を持っているようで、直接、人と関わりを持つことはあまりないと聞いています。伝えられたメッセージは何だったのでしょうか?

次に、少し離れた小高いところにある「高宮祭場」へ向います。
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宗像大神・降臨の地と伝えられ、沖ノ島と並んで宗像大社境内で最も神聖な場所の一つ。社殿が建てられる以前の、神籬(ひもろぎ)を依代(よりしろ)とした古い形式の祭場です。(※ 神籬・・・樹木、依代・・・祭礼のとき神が依ってくるもの)

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高宮祭場への道すがら。
宗像大社は、とても波動のよい空間で、身体が軽くなり、腰がスッと伸びた感じが 暫く続きました。工事中でしたが、やはり、第二宮、第三宮の辺りの波動が非常に高かったと思います。お陰で、車中泊や長時間の運転の疲れもなく旅行を終えることができました。旅行の後半に、こういう波動の高い神社を訪れるのは、お奨めです。

さて、これは何でしょう?
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巫女さんが集めたお賽銭を運んでいるところです。重そうでしたよ。

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この狛犬さん、中々威厳がありますね。もしかすると、眷属が入っているかも? そんな感じのする狛犬さんに見送られて、宗像大社を後にします。
残念ながら、神宝館を見る時間はありませんでしたが、九州国立博物館の一画に宗像大社の宝物の一部が展示されていましたので、昨日、その片鱗を垣間見ることは出来ました。

宗像大社では、期待していた弁天様との出会いはありませんでしたが、実は、その 20日後、思わぬところで、思わぬ出来事が・・・。それは、福岡旅行記の後で、ご紹介します。


今日の立ち寄り湯
おんがふれあいの里センター


今日の道の駅
道の駅 むなかた
駐車場は広く、フラット。トラック駐車場から離れて停めれば静か。
トイレは、ウォシュレット付だが、夜間に使えるトイレの数は制限されて少ない。朝 7:00になると解除される。


アルの命日
宮地獄神社のところでも書いたように、今日はアルの1周忌。
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生前には、あまり上げられなかったお菓子もお供えしました。しっかり食べてね。


明日は 5日目、旅行最終日の門司港です。アル姉にバトンタッチします。

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2017'06.12 (Mon)

福岡旅行⑩ 4日目 そのⅡ 宮地嶽神社

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使用カメラ:ソニーα55
担当:アルパパ

5月3日 宮地嶽神社

今日は、東から西へ、西から東へと福岡市内を通り抜け、行ったり来たりしています。
糸島ドライブを終え、宮地嶽神社へ向かいます。筥崎宮に寄りたかったのですが、ストリートビューで見る限り、近くに適当な駐車場が見当たらなかったため、筥崎宮の参拝は諦めました。宮地嶽神社は、アル一家の暮らす岡山県では聞いたことがなく、昨秋の山口旅行の時、初めてその存在を知りました。福岡県に、総本宮があるというので、こちらを訪ねてみることにしました。


宮地嶽神社
Wikipediaから抜粋引用します。

所在地 福岡県福津市宮司元町7-1
ご祭神 神功皇后を主祭神とし、勝村大神・勝頼大神を配祀

創建は1600年前、息長足比売命(神功皇后)が、三韓征伐の前にこの地に滞在し、宮地岳の頂に祭壇を設け祈願して船出したのが始まりといわれる。全国にある宮地嶽神社の総本社である。毎年220万人以上の参拝客が訪れる。開運商売繁昌の神社として知られ、宗像地方では宗像大社と並んで参拝客が多く、日本一大きいと称される注連縄も有名である。
毎月末の深夜0時(明けて1日)には「朔日参り」が行われており、多くの参拝客が深夜にも拘らず詰め掛ける。
参道のうち、「男坂」と呼ばれる神社正面の石段から門前町を通り宮地浜まで至る西向きの参道は、約 800mに渡る直線道路となっている。この参道の延長線上に夕日の沈む期間が、年に二期(2月下旬および10月下旬)あり、近年ではこの夕日と参道が一直線に並ぶ光景を「光の道」と称し観光イベントも執り行われている。

飛込みのような形で来たので、ご祭神も知りませんでしたが、神功皇后だったのですね。昨日の大宰府の近くで、案内看板を何度も見た香椎宮もそうですし、駐車場の都合で諦めた筥崎宮も八幡宮ですから、神功皇后が祀られています。北九州は神功皇后・三韓征伐の前線基地だったところですから、神功皇后をご祭神とする神社も多いのでしょうか。
神功皇后も、菅原道真と同様に人格神ですから、生きていたときのエピソードが伝わっており、人間臭くて面白いのですが、長くなるので省略します。といいつつ一言だけ付け加えておくと、神功皇后は、母親が辰韓の王子・ヒボコの子孫ですが、辰韓王が亡くなった後、その家来が新羅国を起こしたのに対して異を唱え、自分に相続権があると主張して行動を起こしたというのが真相のようです。

よく判らないまま、短時間で引き上げてしまいましたが、櫻井識子さんによると、低い山にも拘わらず、この宮地山には力の強い山の神様がおられるということです。(山の神様:人としての経験がなく、最初から神であった存在。高い山に存在することが多く、力が強い。)

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まずは、石段を登っていきます。

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何番目の鳥居かよく判りませんが、鳥居の向こうに見える(隠れていますね・・・)のが宮地山(181m)です。この山頂に神様がおられます。

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神門。向こうに見えていますね、注連縄が。

境内マップ。
宮地嶽神社マップ

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いや~。本当にでかい。日本一の大注連縄。重さ 3トン。

残念なことに、アル一家はこの拝殿でご挨拶をしただけ、本殿も見ずに、次の宗像大社に向いました。人も多かったですし、何となく気が急いでアル姉も集中できなかったのか、ここでは何もありませんでした。後で、山の神様と判ったわけですが、普段、ここには神様はおられないのでしょう。

折角、山の上に、力の強い神様がおられることが判ったので、借物の写真を使って、ポイントを紹介します。

奥の宮八社
本殿の横を通り過ぎて、5分ほどだそうです。
宮地岳神社・奥八宮
宮地嶽神社内には「奥の宮八社」と呼ばれる社が祀られており、「一社一社をお参りすれば大願がかなう」といわれ、昔から多くの人が訪れているそうです。・・・第1番・七福神社、第2番・稲荷神社、第3番・不動神社、第4番・万地蔵尊、第5番・淡島神社、第6番・三宝荒神、第7番・水神社、第8番・薬師神社。

不動神社
面白いのは第 3番・不動神社です。宮地嶽神社のHPによると、奥之宮三番社不動神社は日本一の大きさを誇る、横穴式石室古墳の中に霊験あらたかなる「お不動様」をお祀りしています。この古墳は地下の正倉院と呼ばれ、金の鐙(あぶみ)・冠(かんむり)・馬具類・大太刀等数多くの埋蔵物が発掘され、20点が国宝に指定を受けています。
そして、ここで発掘された埋蔵物は、九州国立博物館に寄贈され、その一部が展示されています。昨日、見たばかりです。

古墳
不動神社の上の古墳です。


山頂・古宮跡
宮地嶽神社古宮跡
ここが、宮地嶽神社の発祥の聖地、神功皇后が祭壇を設け、神に祈願したところです。大して高い山ではないので、ここまで登って、ご神気を頂きたいところです。


宮地嶽神社の狛犬。
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どうですか、狛犬というより狛獅子。こんなに強そうで、颯爽とした狛犬は見たことがないですね。惚れ惚れします。


さて、Wikipediaの説明にもあったように、最近は、これが有名になっているそうです。
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海まで続く 800mの参道です。

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そして、これが"光の道"と呼ばれる状態。

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参道沿いの商店街の一角。大宰府天満宮の名物は梅ヶ枝餅でしたが、ここの名物は、松ヶ枝餅だとか。


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今日、5月3日はアルの1周忌。食いしん坊だったアルに、早速、松ヶ枝餅をお供え。写真から、涎が垂れてきそうです。

大分、時間も押してきました。また、訪れるチャンスがあれば、今度は、ゆっくりと山へ登ってみたいですね。では、今日、最後の訪問地、宗像大社へ向います。


つづく。

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2017'06.09 (Fri)

福岡旅行⑨  4日目 糸島

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担当:アル姉

5/3(水) 
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道の駅うすいで迎えた4日目の朝。道の駅が隣接する道路は夜中もトラックや車がガンガン通る道路だったので車中泊向きではなかったかもしれません。さて、この日の目的地は糸島、宿泊地は宗像なので2回博多の街を通らなくてはなりません。よりによって博多どんたくの日だったのでどうなるかと思いましたがそれほど混雑することはありませんでした。

糸島ドライブに行くにあたってアル姉が行ってみたかった場所があったのでわがままを言って寄ってもらいました。

今津運動公園
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ここは駐車場として利用させてもらいました。とても綺麗な公園です。この公園から徒歩3分と書かれていたのですが、公園の駐車場がたくさんあって奥のほうに停めてしまうと3分どころでは到着しません。しっかり10分近く歩きました。

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今津の松原の中を歩いていきます。何か字が現れた!?と期待して見ると「保安林を大切に」の文字でした。

そして間もなく到着。
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金網に囲まれた中にひっそりとありました。これ、何だと思いますか?

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実はこれ、元寇防塁と呼ばれるものです。

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鎌倉幕府が蒙古襲来(元寇)に備えて築かせたもので、底辺3m、上辺2m、高さ約3mの石垣が博多湾沿岸一帯(今津から東の香椎浜まで)に約20kmにわたって作られました。弘安の役の際、この防塁が築かれたところからはモンゴル・高麗軍は一切上陸することが出来なかったと言われています。

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一部は掘り起こされしっかりと復元された状態ですが、このように上部だけがのぞいているだけの場所のほうが多いです。

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この今津地区のほかにも生の松原、西新などでも元寇防塁跡を見ることができます。今回はせっかく九州まで来たのに大野城にも名護屋城にも行けないということだったので、この元寇防塁の遺構を見ることで妥協しました。しかしどこも駐車場が整備されていないのが残念。せっかくの貴重な遺構ですからもっとアクセスしやすいように整備をしてもらいたいですね。

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元寇防塁と駐車場にした今津運動公園の位置関係はこちら。乗用車でしたら海岸沿いの多目的広場に駐車することもできるかもしれません。

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元寇の真実。果たして神風は吹いたのか? by アルパパ

アル姉から、「元寇について何かある?」と聞かれたので、教科書の記述を覆すような真実を!

時代は、またまた、このブログでは何度も登場してお馴染みになったフトニ大王の頃まで遡ります。フトニ大王が吉備国に去った後の磯城王朝では、クニクルが大王につきます。これが孝元天皇です。

話を先に進めるためには、これまで述べてこなかった時代背景について触れる必要があります。
物部イクメ王による東征については既に述べましたが、これは第二次東征で、それ以前にも、物部氏は大和進出を目指して、第一次東征を試みています。その時は、瀬戸内海を通らず、四国沖を通り紀ノ川に上陸を試みますが、阻止されて更に海沿いに東に進み熊野に上陸します。ここに何とか拠点を作った物部氏は、険しい紀伊山地を越えて、しばしば大和へ攻め入ります。これを繰り返すうち、大和の王たちの中には、物部氏に呼応する者たちも現れるようになり、物部氏は大和南部にも足懸りを持つようになり、次第に無視できない勢力になっていきました。

そういう時代背景の中で大王となったクニクルは物部氏に融和的でしたが、大和の出雲族を代表する名門・登美家のクニアレ姫との間に生まれた長男・大彦は徹底した物部嫌いでした。余談ですが、大彦の妹にはあの有名なモモソ姫(ヒミコ)がいます。記紀の述べる家系図は出鱈目です。
話を端折ります。次期大王と目された大彦ですが、徹底した物部嫌いが災いして、やがて、親物部派から攻撃されるようになります。仕方なく、難波の三島(高槻市)へ逃れた大彦は、ここで近くの山の名を取り、安倍氏を名乗ります。更に、追われて琵琶湖まで逃れますが、更に追われます。ここで、大彦は息子のヌナカワワケ(先祖の事代主の妃であったヌナカワ姫の名に因みます)と別れ、大彦は北陸方面に、ヌナカワワケは伊賀を通って東海方面へと落ちのびていきます。静岡県の三島は、ヌナカワワケが東へ向かう途中、故郷の難波・三島に因んでつけた名前です。大彦は信濃で亡くなりますが、その軍勢は東進を続け、ヌナカワワケと陸奥で合流します。この地名が会津として残りました。ようやく奥州以北に地歩を得た安倍氏は、津軽半島を拠点とし、ここに安倍王国を築きます。その後、平安時代には、安倍氏の一部は、奥州北部に拠点を移しますが、前九年役、後三年役で源氏と対立抗争を繰り返し、次第に衰えていきます。前九年役、後三年役は蝦夷征伐といわれていますが、それは真実ではありません。これまで一貫して述べてきたように、原日本人である出雲族追い落としの最終戦だったのです。そして、安倍氏は、鎌倉時代には、津軽半島の十三湊(とさみなと)を拠点に安東氏を名乗りますが、鎌倉時代後期には執権政府の支配下に入り、安倍王国は消滅してしまいます。そして、これが出雲族の王国の終焉ともなりましたが、我々、日本人のDNAには、出雲族のDNAがしっかりと残っています。これで、出雲族の話はおしまいです。

この辺りから、元寇(元による侵略)の話になります。元寇は 1274年と 1281年の二度ありました。二度とも神風が吹いて元の軍船は海底の藻屑と消えたといわれていますが、真実として伝わる話は違います。
元寇に対して鎌倉政府は、既に、支配下に入っていた安東氏に出動を要請します。何故かというと、当時、安東氏は安東船と呼ばれる優秀な船と水軍を擁していたからです。安東氏はこれに応えて出動します。それに加えて、前九年役に敗退して肥前松浦に移り住んでいた安倍宗任(松浦氏を名乗る)も参加しました。
当時、羽後国では石油が採れました。安東氏は樽に石油を詰め、これを安東船に積み込んで、夜陰に紛れて蒙古船に近づき、石油をつけた松明を投げ入れ、多くの蒙古船を焼き払ってしまいました。この安東氏、松浦氏のゲリラ戦により、多くの蒙古船が被害を受け、残った蒙古船は引き揚げてしまいます。
一部の蒙古船は、安東船を追って十三湊に上陸したようですが、退けられてしまいます。その蒙古兵のことが、今も、津軽地方の子守歌に歌われているという。また、この戦の後、松浦党の一部は祖先の地出雲に移り住んだといわれています。
このように、安東氏、松浦氏の活躍により窮地を脱した鎌倉幕府ですが、安東氏、松浦氏に恩賞を与えることもなく、無視したようです。

その後、1341年の日本海大津波により、十三湊の町は全滅、安東氏も衰亡してしまいます。

安東船
安東船。
1613年に仙台藩主伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王フェリペ3世、およびローマ教皇パウルス5世のもとに派遣した遣欧使節が乗った船は、この安東船を参考にして造られたといわれています。

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さて、続いて今日のメインである糸島へ。
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さきほどの今津地区は糸島半島の入り口あたりです。糸島は最近人気のスポットなのだそうで、海沿いのドライブコースにはおしゃれなカフェが立ち並んでいます。

二見ヶ浦
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日本の渚百選、日本の夕陽百選。二見ヶ浦には無料の駐車場がありますがさすが本格的にGWに突入していただけあって満車で駐車待ちの渋滞が起きていました。

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夫婦岩。二見ヶ浦には桜井神社によって伊弉諾と伊弉冉が祀られています。二見ヶ浦の夫婦岩というと何だか伊勢の二見浦を思い出しますね。

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綺麗で澄んだ水。磯の香がします。

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この日はとても暑くて水の中に入って遊んでいる子供たちがたくさんいました。

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二見ヶ浦で海を見ながらのカフェランチを提案しましたが見事に却下されました。アルパパもアルママも高いカフェ飯より自家製オープンサンドで十分なのだそうです・・・。

少し進んで次は野北海岸の見える展望台へ。
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夏は海水浴場として多くの人が訪れるそうです。水遊びをする親子連れの姿が見えますね。ここから海岸に降りるのは少し遠そうなのでもう少し移動します。

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野北海水浴場の西の端の方まで行くと無料の駐車場らしき空き地があったので停めて海岸へ降りることにしました。KEYA POINTという看板。どうやらここは野北というよりは「芥屋(けや)」になるようですね。

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海岸線の角度のせいか野北海岸に比べると波が高いように思えます。

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サーフィンをしている人も見られました。糸島には4つのサーフポイントがあって北部九州を代表するサーフィンのメッカなのだそうです。

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それほど高い波は来ていないようでしたが乗れるのですね。

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あまりにも暑い日だったので足だけでも水につかりたい気分でした。タオルも何も持ってこなかったのであきらめましたけど残念だな~。

芥屋の大門(けやのおおと)
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最後は芥屋の大門と呼ばれる景勝地に向かいました。駐車場にたなびく・・・ことなくぶら下がる鯉のぼりたち。

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太祖神社。御祭神は天照皇大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神の三神。綿積神社、産屋神社を合祀。

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海に向かう途中、にゃ~んという鳴き声とともに黒い影が。

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アル姉の周りをぐるぐる回って鳴き続け、ごろんとお腹を見せてくれます。とてもあたたかくて人なつっこい子でした。この子に会えただけでも来た甲斐があるというものです
実はこの日はアルの命日だったので朝からずっとアルのことばかり考えていました。今どうしてここにアルが居ないんだろうとちょっと泣きそうになったりもしていたので、この猫ちゃんが撫でさせてくれてずいぶん慰められました。「泣き虫のアル姉を慰めてやってよ」ってアルが猫ちゃんにお願いしてくれたのかな。

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「大門神窟」という額の鳥居がありました。芥屋の大門

肝心の芥屋の大門なのですが・・・
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あれ?もしかして陸からは見えない感じ???
アルパパに任せて下調べを怠ったアル姉は急いでスマホをポチポチ。

「玄海国定公園を代表する名勝奇岩として全国的に知られています。日本三大玄武洞の中でも最大のもので、六角形や八角形の玄武岩が柱状節理(ちゅうじょうせつり)をなして、玄海灘の荒波にそそり立って(高さ60m)います。海蝕(かいしょく)によってできた洞窟(間口10m、奥行き90m)は、黒々と玄海灘に向かって口を開き神秘的な景観を呈しています。芥屋漁港から遊覧船で約20分、紺碧の海と洞窟内の蜂の巣状の天井など大自然が造り出したアートを楽しむことができます。
 玄武岩円礫(えんれき)が大門(おおと)を中心に東側1000m、西側800mにわたって連なり黒磯と呼ばれています。昭和41年には、国の天然記念物に指定されています。」


ふむふむ、洞窟の部分は海に向かって口を開けている?え、じゃあここから見えないじゃん

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柱状節理ははっきりと見えるんですけどね。洞窟は遊覧船に乗らなくては見ることができないようです。

こちらはフリー素材からお借りしてきた芥屋の大門の写真です。
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遊覧船に乗るとあの洞窟の内部まで連れて行ってもらえるそうです。

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仕方がありません。海がダメなら山へ・・・。というわけで展望台の方へ登っていきます。

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芥屋の大門展望台からの景色。大門の真裏ですから見えるはずもありません(苦笑)

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反対側は黒磯海岸と呼ばれる玄武岩からなる海岸です。少々がっかりしつつも芥屋の大門はこれで終わりです。


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再び博多の街を抜け、次の目的地へ向かいます。博多港に寄港しているクァンタム・オブ・ザ・シーズを見ました。約16.8万トン、全長:348m、全幅:41m、乗客定員はなんと4180人。アジア最大級大型クルーズ船です。都市高速の上からですが生で見ることができて大興奮でした。博多港というのは年間300隻ほどのクルーズ船が入港し、中国からの観光客も日本で一番多く寄港する港なんですって。大宰府の混み具合に納得ですね。

お次は神社なのでアルパパとバトンタッチです。

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2017'06.06 (Tue)

福岡旅行⑧ 3日目 大宰府

画像をクリックするとアップロードサイズでご覧いただけます。
使用カメラ:ソニーα55
担当:アルパパ

昨日の吉野ヶ里遺跡が 23年振りなら、今日の大宰府は、何と 32年振り。大宰府政庁跡が気持ちよかったのを覚えています。今日も訪ねる予定です。

5/2(火)、8:00過ぎに「道の駅 くるめ」を出発し、9:00前には、天満宮の大駐車場の近くまで来ましたが、観光バスが連なっています。この様子では、駐車場に車が溢れているかと思いきや、一杯なのはバス駐車場だけで、乗用車駐車場には、先客の車が1台のみ? これがどういうことか、直ぐに判明します。

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バス駐車場を出てすぐの参道です。やや派手めの衣装、店先の吊るし広告の文字。中国人の団体客です。朝早くからのバスツアー客の大半は中国人でした。午前中は、この中国人観光客に圧倒され続けます。最近は、クルーズ船で来日する中国人が多いそうです。少し古いですが、2015年の日本港湾クルーズ船寄港ランキングは、1位 博多 259、2位 長崎 131、3位 横浜 125と、博多がダントツの 1位です。博多から大宰府は直近いですから、朝早くから、バスを連ねて来るのでしょう。

大宰府天満宮
まずは、少し長いですが、例のごとく Wikipediaから、抜粋します。
太宰府天満宮は、福岡県太宰府市宰府にある神社。旧社格は官幣中社、現在は神社本庁の別表神社。神紋は梅紋。菅原道真公を祭神として祀る天満宮の一つ。年間 850万人以上の参詣者がある。京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。

右大臣であった菅原道真は 901年に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に員外帥として左遷され、903年に同地で死去した。死後、その遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいという道真の遺志によるものと考え、905年、同寺の境内に廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。
一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、6年後の 909年には藤原時平が39歳の壮年で死去した。これらのできごとを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、919年に竣工した。これが安楽寺天満宮の創祀である。
それでも「道真の祟り」は収まらず、923年には皇太子保明親王が21歳の若さで死去。朝廷は、延喜 → 延長と改元したうえで、4月に道真の官位を生前の右大臣の官職に復し、正二位の位階を追贈した。しかしそれでも「祟り」が沈静化することはなかった。
道真の死後、30年ほどの間に道真「謀反」にかかわったとされた天皇 1人・皇太子 2人・右大臣 1名が亡くなっています。有名な清涼殿落雷事件もこの間の出来事です。そして、990年頃からは本来は天皇・皇族をまつる神社の社号である「天満宮」も併用されるに至った。道真の御霊に対する恐れも少なくなってきたのは中世ごろからで、道真が生前優れた学者であったことにより、学問の神としても信仰されるようになった。

つまり、菅原道真公は、現在は、学問の神様として有名ですが、本来は、崇徳上皇、平将門と並ぶ有名な祟り神です。

天満宮マップ

天満宮マップ①
鳥居のあたりから、順を追って紹介していきます。

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有名な「東風吹かば・・・」の歌碑。

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いたるところにご神牛の像がありますが、これは入口のところ。写真を撮ろうと順番を待っていても、中国人たちは、お構いなしに割込んできますから、アルママも堪りかねて、割込んで(なのかな?)パチリ。後の人がアルママを睨んでいますが、控えめに待っていたら、写真も撮れない!

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中世の鳥居。

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心字池に架かる太鼓橋。

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奥の楼門あたりの様子をご覧ください。辛抱強く人のいない瞬間を狙って写真を撮っていますので、さほどでもないよう見えますが、実際は、人、人、人・・・です。

つづいて、ご本殿とその周辺です。
天満宮マップ②

楼門の手前に、麒麟と鷽(うそ)像があります。
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麒麟は、聖人が現れて王道が行なわれるときに現れるとされ、道真公のご聖徳をたたえるものだそうです。

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鷽は嘘替え神事縁(ゆかり)の鳥で、幸運を運ぶ天満宮の守り鳥とされています。

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楼門。

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本殿。

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ご神木の「飛梅」。「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」 道真公を慕って、都から一夜にして飛んできたといわれる梅の木。境内にある 6000本の梅の中で、一番最初に咲き始めるそうです。

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回廊の外にある大樟。樹齢 2500年とか。天然記念物です。

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本殿の裏に回ると、ここには樹齢 1000 ~ 1500年といわれる夫婦樟。これも天然記念物です。

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筆塚。書道には、三筆・三蹟・三聖と呼ばれる人がいて、 三筆=嵯峨天皇・橘逸勢・空海 、三蹟=小野道風・藤原佐理・藤原行成、 三聖=空海・菅原道真・小野道風。う~ん、ややこしい。

その隣には、こんな碑が。
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野見宿称(のみのすくね)公の碑。野見宿称は東出雲国最後の王、第 17代副王(少名彦)で、道真公の祖先です。
この野見宿称の時代に、物部イクメ王の東進があり、東出雲王国は、日本海沿いに船で攻めのぼった田道間守(たじまもり)によって滅ぼされました。また、田道間守に遅れて陸路を進んだ物部十千根(とうちね)によって西出雲王国も相次いで滅ぼされてしまいました。この時、西出雲王国に仕えながら、十千根と内通して西出雲王国に物部軍を導き入れたのが、徐福の家来であったホヒの子孫です。ホヒ一族は、その功により、後に出雲国造の地位を得て、現在の出雲大社社家である千家まで連綿と続いています。これらのことは、過去記事、「鳥取西部旅行④ 美保神社」に書いた通りです。


ところで、境内には、いくもの摂社があるのですが、
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天穂日命社。「菅家祖神の天穂日命のみたまをまつる」という仰天するような説明があります。
道真公は出雲族の血をひいていますから、穂日命はご先祖どころか、ご先祖の仇になるわけですが、出雲国造の地位を得たホヒ一族は、その後、東出雲王家である向家から嫁を貰うことを許され、出雲に同化を図っていきます。そして、ホヒ家の日狭は、記紀が編纂される際、ホヒをスサノオ(=徐福)の子とし、出雲族の祖先と記載することに成功します。ですから、それ以降の日本では、ホヒは天穂日命として出雲族の祖先になってしまったのです。その結果、天穂日命を祖神とする神々や家系がたくさん存在することになります。

もう一つ、摂社を紹介します。
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菓祖中島神社。ご祭神は、田道間守命。ナナッ何と。上で述べたばかりの、野見宿祢の東出雲王国を滅ぼした田道間守がお菓子の神様として同じ境内にお祀りされているとは! 
田道間守は辰韓から来たヒボコの子孫です。ヒボコについては、過去記事、「法隆寺③ 中宮寺から西円堂へ」の中で少し触れています。

ここで、野見宿祢("宿祢(すくね)"は尊称)と田道間守のその後日談をもう少し。
ホヒ家の日狭が出雲国造となったのち、向家は富家と名を変えています。大和では、イクメ王が大王となりますが、まだ十分な力はなく、東出雲王国を滅ぼした後、大和に進出した田道間守が勢力を増して王の如く振る舞い、手に余るようになりました。そこで、イクメ王は、出雲国造の日狭に田道間守の討伐を頼みますが、日狭にも力はなく、日狭は旧王家の富家に田道間守の討伐を頼みます。既に、王でもなく隠棲していた冨家の当主大田彦も、相手が田道間守と聞いてこれを引き受けます。兵を集め、名も富から野見と変え、野見大田彦として出兵します。そして、各地で田道間守の軍を打ち破り、追って、追って、静岡県東部まで追い詰めて田道間守軍を滅ぼします。ところが、野見宿祢は、兵を引いて出雲へ引き揚げる途中の播磨の国で毒殺されてしまいました。毒殺したのは、何と、ヒボコの子孫だったということです。殺された野見宿祢の墓(横穴古墳)は、兵庫県竜野市に現存します。

更にさらに、今度は末社を、もう一つ。私は、ここから、強いメッセージを受け取った気がしました。
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末社、「高良(こうら)社」。ご祭神、武内宿祢(たけのうちすくね)命。この人も古代出雲族を代表する一人ですが、何故、ここに祀られているのでしょうね? ちょっと、連想ゲームみたいですが・・・。

武内宿祢の子孫には有名な古代日本の名門・蘇我氏がいます。蘇我氏は大和のみならず、北陸一帯にも幅広く勢力を広げていました。西暦 500年頃、大和の平群王朝が幕を閉じ、オホド大王(第26代継体天皇)が即位しますが、このオホド大王は北陸蘇我氏の出身なのです。暫くは、蘇我王朝が続き、第28代宣化天皇の子孫があの有名な蘇我馬子・入鹿・蝦夷ですが、彼らは、大化の改新で、中大兄皇子と中臣鎌足に謀殺されてしまいます。
この事件の首謀者である中臣鎌足は出自不詳、半島から来た人ではないかと言われています。記紀を編纂したのは、その子・藤原不比等と言われていますが、不比等は父・鎌足が古代日本の名門・蘇我氏を謀殺したことで非難されるのを恐れ、真実を徹底して隠ぺいし、歪曲しました。蘇我氏を謀殺して日本の中枢に食い込んだ藤原氏は、その後、道長を頂点として栄華を極めたのちも、五摂家(近衛、九条、二条、一条、鷹司)として力を保持し続け、現在も多くの家系の中に生き続けています。

この高良社では、武内宿祢の名前から蘇我氏と蘇我氏を滅ぼした藤原氏を思い起こしましたが、冒頭の Wikipediaの説明にもあった通り、人望の高かった菅原道真公を謀略で陥れたのも藤原氏です。こうして見ると、古代史は、藤原氏に限らず、物部氏もそうだったように、渡来系氏族が、原日本人である出雲族を滅ぼし権力を手中にしていく過程だということが判ります。そして、古代史に限らず、権力闘争の末に勝ち得た光の陰には、こうした大きな闇が隠されています。

天満宮の境内を訪ね回っていくと、菅原道真にも、渡来系の人々に葬り去られてしまう出雲族の悲劇性が見えてしまいました。それにしても、九州まで来て、出雲族が出てくるとは、思いもしませんでしたが・・・。


天開稲荷社
暫し、古代出雲族に思いを馳せた後、次に、天満宮の裏手の山の天開稲荷社を訪ねました。ここは、願いが叶うパワースポットだそうです。ここまで、お参りする中国人はほとんどおらず、静かな山道を 10分ほど登っていきます。
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本殿。小さなお社です。ここでは光が見えました。

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本殿のすぐ後の洞窟が奥宮です。中は、二人がやっと並べるほどの狭い空間です。ここで、アル姉は「白い狐」の姿を見せてもらいましたが、集中しようとするときに中年の女性が入ってきて、狐さんの姿は消えてしまいました。姿が消えてしまったのは残念ですが、姿を見せてくれたということは、ここのお稲荷さん、かなり、力の強い方だと思います。


天満宮宝物殿

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宝物館は特に紹介したいものもないのですが、ここで見た紹介ビデオの「水城」に関する部分は中々興味深いものでした。結局、時間がなく、水城の横を通り過ぎただけで、遺構を見ることはできなかったのですが、もし、もう一度行くことがあれば、是非見たいと思います。

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午後の参道は、午前とは様子が変わってきます。混雑は一層激しくなり、今度は、修学旅行生が数で中国人を圧倒しています。連休の谷間とはいえ、ウィークデイなんですが・・・ネ。

九州国立博物館
天満宮の直ぐ隣にあります。 32年前には、勿論ありません。4つある国立博物館の一つですから、これは是非見なければ ということで・・・見ました。常設展示だけで、3時間ほど掛かりました。既に、午前中で、人にあたってフラフラしていた私にはきつかったです。でも、常設展示だけなら、 70歳以上は無料でしたよ。フフッ。

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博物館へはトンネルを抜けていきます。トンネル入口。

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トンネル内は時間とともに色が変化します。

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巨大な博物館の建物。

館内は、写真撮影禁止なので、写真はありませんが、次をクリックしていただくとその片鱗を窺うことができるかも知れません。
「文化交流展示室案内」
展示作品のリストと一部の写真も出てきますから、よければご覧ください。膨大な量です。明日訪ねる予定の、宗像大社や宮地嶽神社の国宝も展示されています。


特別史跡・大宰府跡
疲れた身体に鞭打って、最後に、大宰府跡を訪ねました。説明板から抜粋。

「古代、西海道と呼ばれた九州一円を統轄していた大宰府は外交・貿易などの対外交渉の窓口として重要な任務を課せられていた。その機構は中央政府に準じ、地方機関としては最大規模の行政組織を有していた。発掘調査によると、七世紀後半に掘立柱建物が建てられ、八世紀初頭礎石を用いた朝堂院形式の建物に整備される。この建物はは藤原純友の乱によって焼き討ちされたが、十世紀後半には再建された。現在見ることのできる礎石は、この再建期のもので・・・・・・・」

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南門跡?

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原っぱと礎石だけの広い空間ですが、今日、一番ほっとしたひと時でした。

またここには無料の資料館があって大宰府に関する資料展示があります。
印象に残ったのは、当時の高級官僚と下級官僚の食事の展示で、高級官僚の食事が、山海の珍味満載なのに対して、下級官僚の食事は、ほとんど蛋白質のない質素なものでした。


今日の立ち寄り湯
今日の立ち寄り湯は、天満宮の後ろの山にある、ホテル「ルートイングランティア太宰府」内の健康ランドみかさの湯


今日の道の駅
今日の道の駅は、「うすい」。ナビの選んだ山道を 25km、次第に後に乗用車が迫ってきますし、知らない土地の夜の山道は長く感じますね。到着は、20:30。後で、片道 2車線の国道があったことを知りました。やれやれ、最後まで、お疲れの一日でした。


明日の糸島は、玄界灘の自然豊かな半島。今日の疲れも吹っ飛ぶでしょう。アル姉にバトンタッチします。

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