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2017'05.11 (Thu)

鳥取西部旅行 その⑥ とっとり花回廊Ⅱ

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使用カメラ:ソニーα55
担当:アル姉

4/15(土) 午後 とっとり花回廊
花の丘
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パンジーとビオラのじゅうたんの上に何か飛んでいるのがわかりますか?

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子供たちも大はしゃぎのあれです。

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この土日は一日3回、花の丘でシャボン玉を飛ばしていました。

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お馴染みのウサギさんたちもいました。

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奥の方はポピーを植えているようで、GWが見ごろという話でした。

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花の丘のシンボルツリー。

続いて、楽しみにしていた桜・・・ですが、前夜からの雨と風でこんな状態でした。
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すっかり散っています。

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でもこれはこれで・・・うん、なかなか綺麗です。花吹雪の中を桜色の絨毯の上を歩くというのもなかなか贅沢。

少し枝の低い木があって良い撮影スポットになっていました。順番待ちをしてパシャッ。
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桜にピントを合わせたり

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大山に合わせてみたり。肉眼で見ると何とも言えず風流でしたがアルパパの写真だといまひとつ。

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ソメイヨシノは散っていますが八重や枝垂れの様々な種類の桜が花を咲かせていました。

種類がわからないのでざっとお写真だけ・・・
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八重紅枝垂かな

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花を咲かせながら葉も同時に出ているのは駿河台匂。

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ピンクの大きな花は陽光かな。かなり目立つ木でした。

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花の谷
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まだつぼみのチューリップが目立ちます。

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オランダのキューケンホフ公園を模倣しているだけあってチューリップの種類は頑張っています。

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少しですが桜もありました。

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フリチラリア、見た目は少し変わってて可愛いのですが、ちょっと臭いです。

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左は展示されていたパネルでオランダのキューケンホフ公園。右は花の谷のキューケンホフコーナー。う~ん、まぁ、少しは雰囲気出てますかね~。

水上花壇
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時間がなくなってしまったので回廊から見るだけになってしまいました。

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水上花壇の脇にはミツバツツジがピンク色の花を咲かせています。

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春のとっとり花回廊は本当にどこを見ても花・花・花!大満足の3時間でした。今回つぼみだったチューリップやポピーなど、今はすっかり見頃を迎えているのでしょうね。

オマケ
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何度アルと訪れたか分からない蒜山の三木ヶ原にも寄りました。夕食をとったりしながらゆったりとした時間を過ごし、最後は「おーい、もう帰るよ~」なんて言いながら帰路に着きました。

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岡山から見る大山はやっぱりこの形。今回はずっと大山を仰ぎ見、大山に見守られながらの旅行となりました。

次回はGWの旅行記でお会いしましょう。
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2017'05.06 (Sat)

鳥取西部旅行 その⑤ とっとり花回廊

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使用カメラ:ソニーα55
担当:アル姉

4/15(土) 午後
美保関からとっとり花回廊に向かってアルキング号を走らせます。美保関観光の間にお天気はすっかり回復し、大山の雄大な姿をばっちり見ることができました。
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入口すぐの花時計。
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フラワードームと大山も一緒に記念撮影できるスポットです。

MAP
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この半年で3回も訪れているとっとり花回廊ですが、年間パスポートを一人購入すると同伴者も割引になるので次回あたりは誰か年間パスを作ろうかなんて話してます。時系列順に紹介すると写真が入り混じってわけがわからなくなるので場所別で紹介していきますね。

プロムナード橋
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なんとこの日から「春の空中庭園」という特別企画展がスタートしていました。オランダのキューケンホフ公園との交流20周年を記念した特別企画展で5月7日まで開催しているそう。記事のアップが遅すぎてすみませんっ。

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とても可愛らしい色とりどりののハンギングバスケットで飾られています。

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日本ハンギングバスケット協会本部講師の方がプロデュースしたそうです。アル姉はビタミンカラーのバスケットが一番気に入りました。元気が出ますよね。

西館テラス
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17世紀のオランダをイメージ。ここはエントランスから近く、飲食店やお土産店のある西館の前なので、ゆっくり見られるのはいつも帰り際になります。この写真も実は入園後2時間以上経ってから撮ったものです。

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当時は海から渡って伝わったチューリップが、高値で取引される「チューリップバブル」だったんですって。

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空中回廊から。こちらは帰り際、16時頃に撮影。人があまり写っていませんが、チューリップは見ごろだしお花見としてもラストチャンスの週末だったので入場者はたくさんいました。

フラワードーム
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季節を問わず南国ムードたっぷり。

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今回はフラワードーム以外の屋内展示まで見て回る時間はありませんでした。ユリやジャングルはそれほど変わらないかなぁと省略です。

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こんなのもあったのでアルパパとアルママにすすめましたが、見て見ぬふりで行ってしまいました。恥ずかしいんですね。

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20℃を超える陽気で3度目にしてやっとありつくことができました。梨ソフトクリームとブルーベリーソフトクリームです。梨ソフトはやわらかな香りと甘み、ブルーベリーは酸味のパンチが効いていてどちらも美味しかったです。

ヨーロピアンガーデン
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色鮮やかなチューリップが迎えてくれました。

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大山とチューリップ。作業中の軽トラがいつまでも止まっていたのが少々残念。

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まだつぼみのチューリップもたくさん。GWまでにはきっとここも見ごろになっているのでしょうね。

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三色の桃は正確にはヨーロピアンガーデンじゃなかった気がします。コブシの花も見事に満開。

霧の庭園
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ウィンターイルミネーションのときはあれだけ色鮮やかだったメインともいえる場所でしたが、春は控えめな印象。ハンギングバスケットも落ち着いた色合いです。

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マスコット。ピロポロ花壇。

東館通り
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新緑の並木・・・には少し早いですね。でも花壇が綺麗。

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フラワートレインは満員でした。広い園内なのでお年を召した方の利用が多い気がします。アルパパとアルママもいつか乗るようになるかな?

ハーブガーデン
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ブランコが可愛いので皆座って写真を撮っちゃいましたよ。

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クリスマスローズって4月になっても綺麗に咲くのですね。

長くなったので続きは次回。

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2017'05.03 (Wed)

鳥取西部旅行 4 美保神社

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使用カメラ:ソニーα55
担当:アルパパ

4月15日 美保神社
一夜明けてみると、横なぐりの強い雨。鳥取花回廊も雨だろうなと思いつつ、道の駅にいても仕方ないので、8:30 何となくスタート。暫く、西へ向けて走っていると、アル姉が、「今回は、妻木晩田遺跡と鳥取花回廊だけ。他にはないの」。これを、昨日から何度も繰り返しているのです。鳥取花回廊へ行っても雨だろうし、「じぁ、美保神社に行ってみようか」と提案すると、「行こう、行こう!」ということになり、米子から進路を北にとって、昨日、山の上から見た弓ヶ浜を走ります。

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このヒョロヒョロとした松並木が、アル姉お気に入りの弓ヶ浜の光景らしく、はしゃいでいます。

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やがて、境港大橋を渡り

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暫く走ると、美保神社の駐車場へ到着です。雨、止んだ、晴れ!
そして、アル姉、車を降りるなり、「ああ、ここ行かなきゃ」とスタスタ赤い橋に向います。

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橋の向こうに小さな島があってお社。案内の立て札も何もありませんが、弁天様でしょう。やっぱりね。既に呼ばれている気配が濃厚です。

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美保神社は、神話に基づき、次のように紹介されています。
美保神社は美保関の中央部にあり、大国主命(だいこく様)の長男、事代主命(えびす様)とその母神三穂津姫命をお祀りする二殿連棟(美保造り)の特殊なお社です。

が、この親子関係はまったく出鱈目で、真実は異なります。美保神社の紹介は、かなり深い話になります。長くなりますので、できるだけ端折って紹介します。
出雲では、西出雲王国の神門臣(かんどおみ)家と東出雲王国の富家が交互に主王(大国主という)と副王(少名彦という)を出して、共同で王国を統治していました。紀元前 3世紀後半の出雲は、八代目の時代で、主王は西出雲王国・神門臣家の八千矛(やちほこ)、副王は東出雲王国・富家の事代主(ことしろぬし)が務めていました。そして、ここに、徐福伝説で有名な、あの徐福が絡んできます。その八代目の頃、正確には紀元前 219年、秦の始皇帝の命を受けた除福が不老不死の仙薬を求め、2000人もの秦族を引き連れて、出雲半島の五十猛海岸に上陸してきたのです。徐福上陸の 1年前に、秦族のホヒとタケヒナドリ父子が先遣隊として上陸し、西出雲王国・神門臣家に仕えて、地ならしをしていたため、徐福はすんなりと上陸することができました。更に、除福は西出雲王国の姫・高照姫を妃に迎えたいと申し出て認められ、そして生まれたのが五十猛(いそたけ)。五十猛は海氏を名乗り、その後丹波に移住。その子孫は海部氏と名を変えます。また五十猛の子、海村雲(あめのむらくも)は大和に進出して、海王朝を起こし、初代の大和大王となりました。除福は日本名をホアカリと名乗りましたが、実は、スサノオ伝説の主人公はこの除福なのです。
出雲王国と除福集団の関係は、うまくいっているように見えていましたが、やがて除福集団は牙を剥きます。八代目の主王・八千矛と副王・事代主が、タケヒナドリの手によって、相次いで幽閉、殺害されるという事件が起こります。
殺害された事代主には出雲の正室の他に、美保関に越の国から来た側室のヌナガワ姫がいて、二人の間に、タケミナカタという息子とミホツヒメという娘がいました。事代主が殺害された後、タケミナカタは母のヌナガワ姫を連れて越の国に帰りますが、ミホツヒメは美保関に残ります。主王と副王を失った出雲王国は動揺し、半数が新天地を求めて大和へ移住してしまいます。
八代目を失った出雲族は、九代目の主王・副王を立てます。この様子を見ていた徐福は、このままここに居ても王にはなれないと判断し、息子の五十猛と母親を残して一旦帰国しますが、もう一度、紀元前 210年に、またもや始皇帝を騙して、3000人の若者と多くの熟練工、多くの資材を携えて、再び日本に上陸します。今度は、徐福は人の少ないところを狙って、有明海から、筑後川下流に上陸しました。当時の 3000人は大集団です。彼は吉野ヶ里を拠点として勢力を広げ、物部氏を名乗ります。徐福の王国は、当初、築秦国と呼ばれていましたが、それが築紫国になったそうです。
460年ほど一気に時間を進めます。この間に、物部氏は、筑紫 → 薩摩 → 日向と王国を移しています。当時の王国の中心は、西都原、都万国といいました。移動の途中で南九州の隼人族も吸収し、九州随一の勢力となった物部氏は、イクメ王の時代、西暦 248年、九州・宇佐の豊国と連合軍を編成し、大和進出を図ります。瀬戸内海沿いに吉備国と直接対決して大和を目指すイクメ王の軍と、日本海沿いに出雲を攻める物部十千根(とうちね)軍の二手に分かれて攻め上ります。既に、弱体化していた出雲王国軍は、ホヒ家の裏切りもあって簡単に負けてしまい、ここに 17代 600年続いた出雲王国は終焉を迎えます。やがて、イクメ王の主力軍も 8年の戦いの後、吉備王国を破り河内に上陸、300年続いた磯城王朝を倒して物部王朝を建て、イクメ王は大王(垂仁天皇に比定)に就きました。このイクメ王の大和侵攻が、記紀では神武東征の話に書き換えられています。
こうして、出雲王国は物部王朝の成立過程で滅んでしまいます。新たに出雲国主となった物部十千根は、秋上(あきあげ)家と名を変えますが、東出雲王家の血筋である向家(富家から名を変えた)を尊重してくれました。十千根のこの厚情に応えるため、向家では、出雲と物部の恩讐を乗越え、ともに手を携えて進んでいこうと決意、その願いを込めて美保神社を建立、事代主と三穂津姫の靈を祀りました。美保神社の由緒は不明とされていますが、これが由緒です。

なお、物部軍を助けた功によりホヒ一族は、出雲国造の地位を得、それは現在の出雲大社の社家である千家、北島家にまで続いています。千家の家系図を見ると、「天照大神」-「天穂日(あめのほひ)命」-「武夷鳥(たけひなどり)命」・・・で始まっています。

こうして成立した物部王朝も、僅か 3代で幕を閉じ、平群王朝へとバトンを渡して歴史の陰へと消えていきます。

記紀とはかなり趣の異なる話を長々と紹介しましたが、いつの世も、勝者が都合の良い歴史を正義として語り、敗者は歴史から抹殺されるか歪曲された歴史を背負わされることになります。

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建物は、向家の願いを反映した独特の造りになっています。まず、手前の拝殿ですが、壁が全くありません。誰でも、どこからでも、自由に集えるようにという意味が込められています。

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二つの本殿の千木をご覧ください。左の千木は縦削ぎ、右の千木は横削ぎです。縦削ぎは出雲の形式、横削ぎは物部の形式で、恩讐を超えて融和を図ろうという意味が込められています。
※ 一般には、男神が縦削ぎ、女神が横削ぎと言われますが、元々の意味はこの通りです。

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本殿の後ろから。

お参りすると、アル姉には文字が降りてきましたが、行書か草書かという字体であることと文字数が多すぎて意味不明、というよくあるパターンでした。本殿は拝殿から向かって左側、事代主が祀られている方から降りてきたそうです。

旅行の数日前、アル姉にレイキをしている時、アル姉に児島半島の由加神社のヴィジョンが降りてきました。早速、翌日、アル姉は、由加神社にお参りしたそうです。そうすると今度は「寿」という字が降りてきたそうです。そのときは、「なんのこっちゃ」で終わりだったのですが・・・。
事代主は一般には、「恵比寿様」としての方がよく知られています。もしかすると、恵比寿様の寿だったのかも知れません。

お参りした後は、アル姉もつかえものが下りたようにスッキリでした。

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ご神竹。美保神社のお種と呼ばれる籾は念じて撒くと、綿だろうが、西瓜だろうが、豆だろうが、ハスだろうが、どんなものにでもなると言われており、この竹はお種から生じたものであるといわれています。このお種は 100円で求めることができます。

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拝殿前の狛犬は備前焼。

参拝が済んで、神社前の青石畳通りを歩いてみました。
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通りには、この地を訪れた多くの文人たちの短歌・俳句の碑がたくさんあります。
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街角の資料館に展示されていた「諸手船(もろたぶね)神事」の絵。
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「大国主神が事代主神へ国譲りの知らせを船で知らせたことに由来する神事」と言い伝えられていますが、真実は、八代目大国主・八千矛を拉致したタケヒナドリが、美保関にいた事代主のもとを訪れ、「八千矛様が行方不明になりました。事代主様も一緒に探してください」と偽って事代主を船に乗せ、そのまま拉致して、米子の粟島の洞窟に幽閉したときの様子を再現したものです。12月3日に執り行われます。

予定外だったのか、予め、決められていたことなのか? これで美保神社の紹介を終わります。
ここから、アル姉にバトンタッチします。鳥取花回廊、花の写真をご覧ください。

つづく。

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2017'05.01 (Mon)

鳥取西部旅行 3

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担当:アルパパ

フトニ大王の王宮跡(高杉神社)
さて、妻木晩田遺跡の見学がすんだ後は、フトニ大王の王宮跡に建つ高杉神社を訪ねました。
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所在地・・・鳥取県西伯郡大山町宮内88番
社  格・・・村社
ご祭神・・・大足彦忍代別命、大日本根子彦太瓊命(フトニノミコト:孝霊天皇)、本媛之命、松媛之命、千代姫之命、小葉枝皇子、根鳥皇子、天照御大神、武速須佐之男命、誉田別命、押別命

やはり、祭神の一柱として、フトニ大王が祀られています。また、地名の宮内も王宮のあったところという意味なのでしょう。

さて、フトニ大王については、過去記事「法隆寺③中宮寺から西円堂へ」の中で次のように述べていますので、その部分を再掲します。

2世紀の中頃、磯城王朝のフトニ大王(孝霊天皇に比定される)は、本家筋の出雲王国から、出雲領である播磨地方(兵庫県南西部)が丹波のヒボコ(半島から渡来した辰韓の王子)勢の侵略をうけているとして救援を頼まれます。フトニ大王は、それに応えて、大キビツ彦と若タケキビツ彦、二人の御子を派遣してヒボコ勢の侵略を喰い止めましたが、フトニ大王は播磨の地を出雲王国に返そうとはせず、自分の領地にしてしまった上、大軍をもって出雲領吉備国に侵入し、これを占領してしまいました。その後、フトニ大王は中国山地を越えて、伯耆(鳥取県西部)にまで攻め込み、そこに居を構えて暮らします。そして、大キビツ彦と若タケキビツ彦、二人の御子は、更に、出雲王国深くまで攻込んで激しい戦いを繰り広げました。やがて劣勢の西出雲王国が休戦を申入れ、二人の御子は戦利品を得て吉備の国に引上げ、ここに大和王国にも拮抗する吉備王国の誕生を宣言します。

フトニ大王は先祖の地である出雲王国に攻込んで、そこが気に入ったのか、王宮を建てて住み着いてしまったのですね。その王宮跡に、今は高杉神社が建っています。

フトニ大王の吉備軍は一旦日本海まで出て、そこから日野川を遡って攻込み、東出雲王国軍は遺跡のあった妻木山に陣を敷いて迎え撃ったそうです。ですから、長閑そうに見えた妻木晩田遺跡ですが、あそこは、倭国大乱の戦場だったのかも知れません。明日訪ねる鳥取花回廊の辺り、溝口でも激しい戦いが行われています。鳥取花回廊の近くに「鬼っ子ランド」という遊園地がありますが、あの辺りには鬼伝説があります。岡山県にも鬼伝説があります。吉備軍は自分たちに敵対する勢力を鬼と呼びました。負けると悪者にされてしまうという悲しい事実です。

さて、この高杉神社には「うわなり神事」と呼ばれる奇祭があります。興味がおありでしたら、クリックしてお読みください。主人公は、フトニ大王(孝靈天皇)の本妻・細姫命とフトニ大王がこの地で迎えた二人の側室、松姫、千代姫の 3人。神事はこの 3人にまつわる愛憎劇です。

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孝霊山の麓、高杉神社付近から眺める大山。1800年前もほとんど変わらぬ姿だったでしょう。
フトニ大王が大和の大王の地位を捨て、温暖で豊かな吉備でもなく、伯耆のこの地に居を構えたのは、朝に夕にこの大山を仰ぎ見て祈りを捧げるためだったのかも知れません。ここから眺める大山には、そんな霊山の雰囲気があります。

大山は、昔は大神山と呼ばれる神聖な山でした。何故、そう呼ばれていたかというと、出雲王国の神奈備山だったからです。祀られていたのはクナトノ大神。クナトノ大神は謎の神といわれていますが、600年続いた出雲王国の始祖クナト王を祀ったものです。
クナト王は、インダス文明を築いたインドのドラビダ族の王でしたが、西からのアーリア人の侵入に押される形で、自分たちも移動を決意し、数千人を引き連れてインドの地を離れます。目指した先は、ブリヤート人の商人から聞いた、南(ブリヤート人から見て)の海に浮かぶ人がほとんど住んでいない温暖な島。人目を避け、ゴビ砂漠を横断し、ブリヤート人の住むバイカル湖周辺に到着します。そこからは筏でアムール川を下り、樺太、北海道沿岸を進み、青森県津軽半島に上陸します。そこから更に、陸路南下を続けて出雲に至り、この地に住み着きます。
何故、出雲なのかというと、彼らはそこで黒い川を見つけたからです。黒い川、つまり大量の砂鉄を見つけたのです。彼らは既に低温のタタラ製鉄の技術を持っていましたから、大量の砂鉄を産出する土地は大変魅力的だったわけで、ここに住み着いて鉄器を生産、そこに鉄器を求める人たちが集まってきて王国が出来上がっていったのです。
日本人の遺伝子を解析すると、ドラビダ族の血にアジア大陸各地の血も混じっているそうです。移動の途中で他民族も混じっていったのでしょう。ドラビダ語に古代モンゴル語などが混じって出雲語ができ、それを基に日本語ができていきました。つまり、原日本人ともいえる縄文人のルーツはインドのドラビダ族です。そして、多くの日本人の穏やかな民族性もドラビダ族由来のものです。

更に、文明だけでなく、ドラビダ族が持ち込んだ信仰もまた日本にしっかりと根付きました。
・日の女神・・・出雲における日の女神信仰は、出雲族の大和移住とともに、大和にも移植されました。大和で信仰の中心となったのは三輪山です。ここでは、東出雲王国出身の登美家の姫がシャーマンとなって祭祀を取り仕切りました。初期の大和政権は、祭祀による統治でしたから、登美家の後押しがないと、大王にはなれませんでした。やがて、三輪山の日の女神は、物部氏の大和進出によって丹波に追いやられ、その後、出雲系の伊勢氏に迎えられて、伊勢で祀られます。これが、神話に取り込まれて、天照大神の伊勢遷座までの流浪の旅の物語になったのだと思います。
・龍神・・・お馴染みの龍神信仰もインド由来です。陸の大蛇、川のワニの最強コンビが合体して龍となったそうです。
・ガネーシャ・・・顔が象の神様。これが、日本ではサルタヒコ大神になりました。サルタヒコ大神はクナトノ大神の御子神とされています。クナトノ大神と妻神の幸姫命、サルタヒコ大神を合わせて「幸神三神(さいのかみさんしん)」といい、「人の幸」を守護する神として崇められました。


さて、本日の日程終了で、宿泊地「道の駅 大山恵みの里」に向う途中、こんなところに寄ってみました。
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小さな公園ですが、雄大な大山北壁を背景にここで遊べる子供たちが羨ましい。そして、一角にはこんなものも。

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カラス天狗は、スサノオの眷属神という人もいますが、その真偽は別にして、中国の流星思想と日本の怪異伝説が結びついてできたという説もあるようです。

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マンタ? ムササビ?


おまけ
高杉神社には、すっと行けたわけではなく、場所をうろ覚えだった上に高杉神社を若杉神社といい間違えていました。勿論、NAVIに載っているような有名な神社ではなかったので、NAVI上の神社マークを適当に選んで移動したのですが、アルキング号では通れないような細い道になり、車を降りて歩くこと 20分。挙句に、「あれ、ここは違う!」となりましたが、その神社がこちらの長田神社。
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少々慌ててしまいましたが、アル姉は「とても気持ちのよい神社」なので、お参りの時、神様に若杉神社への道案内をお願いしたそうです。

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注連縄の形が力強くユニークです。長田神社を離れてすぐに、アル姉が「高杉神社じゃないの」と言い出し、「それなら、判る」ということで、早速の導きをいただきました。ありがとうございました。

道の駅・大山恵みの里
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4/14は、一晩中強風が吹き荒れました。幸いなことに、アルキング号は駐車場所がよかったため、車が揺すぶられることもなく一夜を明かすことができましたが、写真のバンコンは、別の場所に停めていたのですが、よほど揺すぶられたのでしょう。朝には、風の当たりにくいこの場所に移動していました。

つづく

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2017'04.29 (Sat)

鳥取西部旅行 2

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担当:アルパパ

妻木晩田遺跡②
妻木晩田遺跡案内図

妻木山地区
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洞ノ原地区を見終わり、次に管理棟の東に位置する妻木山地区を見ました。
ここは、2世紀後半から3世紀前半の集落で、1つの小さな村を復元してあります。また、「発掘体感ひろば」もあり、発掘体験あそびができるようになっています。

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ここで、古代体験キャンプをしてみたら楽しそうだ。

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復元された中では一番大きいぐらいの住居です。本当にあったかどうかは判りませんが、中二階を作ってありました。結構、住み心地がよさそうですね。

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発掘体感ひろば
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こういうのがいくつもありますが、これは畳19畳もある大型住居跡です。2世紀後半ごろの建物ですから、フトニ大王が、吉備から出雲に攻込んで来た頃です。その頃は、この辺りが中心だったことになります。フトニ大王の出雲侵攻については、鳥取西部旅行 3で詳しく説明します。

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建物の中には、発掘現場が保存されています。

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ここには、2世紀後半から、3世紀前半にかけての 3つの住居跡が重なりあっています。同じ土地が繰り返し利用された様子が見て取れます。

土器の野焼き
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弥生式土器はこのようにして焼かれたのですね。


妻木新山地区
ここは、妻木晩田の里山を再現した地区で、復元住居等はありません。

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尾根筋の散策路が続きます。

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散策路の途中から、南に孝霊山を望む。左手に見えるのは妻木山地区の復元住居と発掘体感ひろばの建物。
孝霊山は、フトニ大王(孝霊天皇)がこの山の東麓に王宮を構えて住んだことから王の名に因んで付けられたものです。王宮は大山町宮内にあり、その跡には、高杉神社が建てられています。


仙谷地区
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妻木晩田地区の墓域は、洞ノ原地区 → 仙谷地区 → 松尾頭地区の順番に作られており、仙谷地区は2世紀末から3世紀前半に造られた墓域です。ということは、2世紀末から3世紀前半に掛けては、住居は妻木山地区に、墓は仙谷地区に造られていたことになります。古墳の内、仙谷1号墳は他の古墳と少し離れた場所にあり、一辺 17mの妻木晩田遺跡最大の四隅突出型墳丘墓だということですが、残念ながら、現在は発掘途中なのか立入り禁止になっています。

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仙谷2・3・5号墳は、日本海を一望する絶好のロケーションに造られています。


松尾地区・松尾頭地区
この二つの地区は、妻木晩田地区の南、大きな道路を隔てた向こうにあり、発掘途中なのか見ることはできませんが、管理棟「弥生のやかた」の展示物の中に垣間見ることができます。この遺跡群の最盛期であることが判ります。

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王族クラスの住居。ちゃんと立壁と立派な両開きの扉があります。

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神殿。巫女がご神託を告げている風景でしょうか。

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鉄器を作っている作業風景です。

松尾地区、松尾頭地区に復元住居ができて公開されたら、是非、また来たいと思います。

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冗談で「ムギパンダ」といっていたら、アル姉は最初はそう信じていたようでしたが、本当にパンダのキャラクターがあったので、ビックリ。

おまけ
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洞ノ原地区でヘビさん。天気もよかったので、蛇だって散歩がしたいのでしょう。
そして、新山地区を歩いていたときにも、アル姉が「ヘビッ!」というので、「どこに?」きょろきょろと見渡すと、何とすぐ足元に、しかもマムシ! 遊歩道と同じ色。「ヒェーッ」。 カメラを構える間もなく、草むらへ。いやぁー、本当、踏みつけなくてよかった。足元もしっかり見ないとね。

次は、フトニ大王の王宮跡に建つ、高杉神社です。

つづく。


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