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2017'04.24 (Mon)

2017年3月・奈良旅行 今井町③

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使用カメラ:ソニーα55
担当:アル姉

3/19(日)


今井町その③です。
今井町散策マップ。
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中町筋からスタートです。
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旧米谷家(マップF)
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屋号は「米忠」、金物商を営んでいました。18世紀中頃の建物で後に、内蔵や蔵前座敷を増築したそうです。見学無料。

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説明看板。

内部。
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特徴的な形をしたかまどです。勾玉の形になっていて機能性を重視した造りになっています。

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煙出しが両面に開いているのは比較的新しい町屋なのだそうです。そう言えば今西家などは片側だけでしたね。

音村家
(マップE)
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屋号は「細九」、隣り合う旧米谷家と同じく金物商を営んでいました。見学は要予約で200円。17世紀後半に主屋が建てられ、だんだんと増築されていったようです。珍しい「一口竈」(出土した遺構をもとに復元)が置かれているそうですが、おそらく今井まちや館にあったかまどと同じタイプだと思います。

上田家
(マップD)
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今西家と同じく惣年寄りをつとめていました。見学は要予約。
屋号は「壷屋」。江戸時代初期には酒造業も営んでおり、有力商家と共に「今井札」を発行するほど優れた経済力を持っていました。大工町筋の南側に位置し、西面にも道があって角地に建っています。上の写真は西面の道から撮ったもの。

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写真左手が大工筋。棟札から1744年頃の建築と見られています。入母屋造、本瓦葺で、2階の軒は低く、内部は北側に土間、南側は整形六間取り。今西家と同じで周囲の町屋に比べるとかなり立派な造りになっています。時間があれば見学も考えたのですが、ここの時点で今井に来て既に2時間が経過していましたので却下となりました。

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大工町筋。このあたりまで来るとほとんど観光客がいません。

ここからは北尊坊通りです。
吉村家(旧上田家)(マップJ)
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屋号は「壷八」、飲み屋さんみたいですが肥料商を営んでいました。非公開。

山尾家(マップK)
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屋号は「新堂屋」。幕末には、町年寄を勤めた大商家。現在は今井まち衆博物館新堂屋として見学可能(要予約、400円)。明治10年明治天皇の今井行幸に随行した木戸孝允卿が投宿した時に使用した調度品まどが展示されているそうです。

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竹細工屋さんと銀行。銀行も町並みに溶け込むようなデザインにしてあるのでしょうが少々苦しいですね。

ここから中尊坊通り。
河合家(マップG)
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屋号は「上品寺屋(じょうぼんじや)」で酒造業を営んでおり、現在も造り酒屋さんとして営業なさっています。見学は1階だけなら100円、2階までなら300円(2階は要予約)。杉玉がいくつもぶらさがっていますね。丸窓もなんだか可愛らしい。今井町の中では二階建ての町屋は珍しく、18世紀中頃の比較的早く二階建てになった町屋だそうです。

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正面に回る前、建物の東側を見ているときに「ああ、造り酒屋さんだな」と思いました。

高木家(マップH)
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屋号を「大東の四条屋」と呼ばれる四条屋の分家、本家の酒造業を助け、後には醤油屋も併せて営んでいました。建物は19世紀頃の初期頃で、2階部分は19世紀末期に整備したものです。見学は要予約で300円。幕末期の上層町屋。

町の通りの半分も歩いていないし町屋の内部見学もあまりしていないのに気付けば3時間ほど経っていました。全然時間が足りません(苦笑)。今井町はおしゃれなカフェや土産物屋さんだらけの観光地(倉敷の美観地区はすっかりそんな感じです、苦笑)と違って静かで落ち着いた雰囲気なのが魅力の町でした。メインストリートよりも人々の生活観が感じられる路地なんかもなかなか味があって良いです。そう言えばアルママの大好きだった朝ドラ「あさが来た」のロケ地にもなっていたのだと帰ってから気付きました。「え~?町を歩いている時に教えて欲しかった~」と言われましたが気がつかなかったんだから仕方がないじゃない。また是非歩きたい町のひとつですね。

さぁ、これで1泊2日の旅行は終了です。朝から歩きっぱなしでまさに足が棒状態でしたが、車を置いたのが橿原神宮だったので後はもう黙々と歩きました。この日の万歩計は24,000歩。本当によく歩いた気がします。お疲れなのにこの後3時間以上アルキング号を運転して帰ってくれたアルパパには本当に脱帽と感謝です。いつも楽しい旅をありがとう。

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2017'04.20 (Thu)

2017年3月・奈良旅行 今井町②

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担当:アル姉

3/19(日)


今井町その②です。
重伝建、今井町散策マップ。
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前回、南からぐるっと回って今西家を見学し本町筋を通りました。

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続いて一本南に行ってみます。虫籠窓の形もいろいろあって見ていてあきません。

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御堂筋。こちらは電柱が目立ちますが、見所の多い通りです。

豊田家(マップB)
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丸に木の紋ですね。要予約で見学可能。200円。根は入母屋造、本瓦葺で軒は高く、2階軒は出桁造り。 寛文2年(1662)の建築で古くからある上層町屋。

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説明看板。西の木屋(材木商、牧村家)で大名貸しや藩の蔵元等をつとめた。

称念寺(マップI)
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寺内町として成立した今井町の中核となった寺院で、寺内町の形成、発展を支える町政全般の拠点。浄土真宗本願寺派。
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遠くから見ていて本堂が見えないなぁと思ったら完全に覆われていて解体修復中でした。完成は東京オリンピックまでにはという話でした。

案内所兼休憩所
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称念寺の向かいの案内所ではボランティアの方が今井町や修復中の称念寺についての説明をしてくれましたので、解体中の本堂の写真なども見ることができました。

中橋家(マップC)
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屋号は「米彦」、もちろんお米屋さんですね。内部は非公開。

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説明看板によると、19世紀前半頃に正面上部に低い「つし2階」が増築された中規模な町家のようです。

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香ばしいような良い香り、お醤油屋さんを発見しました。旅行に行くたびに醤油を買おうとするアル姉に、アルママからダメ出しが出てしまいました。残念。

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南北の細い筋。見忘れた所があったので本町筋にもどってみることに。

今井まちや館(マップ③)
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18世紀初期頃の町家ですが、明治以降は、空家の期間も長く破損がひどかったそうです。8000万円ほどの修復費用をかけ、資料にもとづき当初の姿に復元。古材を再利用しつつ耐震、防火施設の充実をはかりながら再建したもので無料公開されています。

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内部。厨子(つし)二階の部分に上がらせてもらえます。厨子とはロフトのようなものです。案内のおばあちゃんがそう何度も力説するのです。外から見たとき虫籠(むしこ)窓が見える町屋はたいていこの厨子があります。

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文化財指定はないのですが、なかなか立派な町屋で予約なしで気軽に雰囲気を味わえるのは魅力的です。一口竈も珍しいですしね。

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本町筋。やはり少し道がずれていて見通しはききません。

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郵便局も町屋風。

続いて一本北の中町筋へ。もう一回分割です。
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2017'04.17 (Mon)

2017年3月・奈良旅行 今井町①

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担当:アル姉

3/19(日)


今井町
r-DSC09368.jpg(今西家)
今井町(いまいちょう)は、奈良県橿原市の中部に位置する地区で、1679年(延宝7年)に江戸幕府から「今井町」と呼称することを許され、1~4丁目がある。戦国時代の寺内町が原型となり、今も江戸時代の建造物が多数存在するため、町域の一部が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。(wikipediaより)

今井町散策マップ。
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重伝健の選定を受けたのは平成5年。東西約600m、南北約310m、面積にして17.4haの地区内には、全建物数約1500棟弱のうち、約500棟の伝統的建造物があり、全国で最も多いとされる規模です。

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まずは町の入口にある今井まちなみ交流センター「華甍(はないらか)」で今井町についての予習をしましょう。映像や模型、資料などが展示されています。午前9時~午後5時まで(最終入館は4時30分まで)、入館料は無料。

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ちなみに駐車場もここにあります。アルキング号だと微妙にアウトな感じのゲートでした。

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模型。今井町は天文年間(1532~55)、本願寺の今井兵部によって建てられた称念寺を中心として、一向宗の布教拠点として誕生しました。非常に練られた都市計画のもとに寺内町として発展し、他宗派や大名などの攻撃を避ける為に、周辺に濠と土居を巡らせ、僧侶や門徒を守るための武力が備えられました。模型やマップを見ても、見通しのきかない筋違いの道路、環濠で囲まれ橋でしか出入りできなかった構造などがわかりますね。

以前岡山県の鴨方にある高戸家住宅を紹介しましたが、高戸家はこの今井町の出身で、一向一揆などの戦乱を嫌い移住したという話でした。今井町は一向宗の寺内町でしたから、一向一揆の折にはやはり織田信長と敵対しますが、本願寺の降伏や、交流の深かった堺の豪商と明智光秀のはからいなどで武装を放棄することになります。そして信長は武装放棄を条件に「萬事大坂同前」として、今井町に大坂と同じように自治権を認め、今井町は取り壊しを免れるだけでなく信長から自治権までもを与えられました。江戸時代には今井札という独自通貨が流通するほどに栄え、「大和の金は今井に七分」と言われるほどの商工業都市として発展していったのです。

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展示パネル。

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豊田家住宅の模型。写真手前が東、右手が北です。

非常に広いので全ての通りを歩くのは無理かなぁ・・・。とりあえず歩き始めます。まずは南東から西にある今西家住宅を目指します。
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南尊坊通り。歩き始めるとまもなく、通りが早速折れ曲がっています。

春日神社(マップQ)
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旧常福寺。江戸時代には常福寺の鎮守として春日神社が祀られていたが、明治の廃仏毀釈で常福寺が廃寺となり、春日神社だけが残っています。境内には常福寺の本堂である観音堂や門が残されていました。

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春日神社の北の通り。

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環濠復元。この左手、今西家の南に織田信長の本陣があったとされています。今はほとんどが埋められてしまっていますが今井町全体がこのような環濠に囲まれた環濠集落でした。

今西家(マップA)
今西家は代々今井の惣年寄筆頭をつとめた家筋で、領主・代官の町方支配の一翼を担い、自治権が委ねられていました。元々は川井姓を名乗っていましたが、5代目川井長左衛門正冬のとき大坂夏の陣の功により、元和7年(1621年)5月郡山城主松平下総守忠明(徳川家康の外孫)より今井町の西口にあることから今西姓を名乗るようにすすめられ今西家を名乗るようになります。
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西から。 外壁は白漆喰塗ごめ。大棟の両端に段違いに小棟を付け入母屋造りの破風を前後くい違 いにみせ(八棟造り)、本瓦で葺いて堂々とした城郭風の外観になっています。説明してくださる町の方々が皆口をそろえて「二条城みたいに」とおっしゃるのが印象的でした。

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北から見ると普通に町屋風ですね。

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2段の壁には、向かって右方に川井氏の定紋を入れ、左には旗印を付けています。

今西家は棟上札から慶安3年(1650年)の建立であることがわかっており、今井町で最も古い民家です。総年寄りをつとめ司法権・行政権を委ねられ、お白州をもつという有名な家でもあるため、アル一家もここの見学だけはしたいなと思っていました。見学は要予約で一人400円。当日に何度か電話をかけて無事見学することができました。写真はご自由にと言われるのですが、案内してくださるご婦人は途切れることなく説明を続けてくださいます。そして次のお客さんが待っていたため終わるとすぐ追い出されてしまったので、実際にはあまり写真を撮ることができず残念でした

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居室は6間取。今井町の基本的な間取りです。納戸の敷居は一段高くなっており、「帳台構え」というそうです。

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通用口から中へ。

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土間。ここがお白州となっていた場所です。左手に式台がありますがたいそう立派でした。土間と居室の間には猿落しつきの板戸があり完全に遮断することができるようになっています。

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左上にあるのはいぶし牢(男性用)の入口。この右側にも女性用のいぶし牢があります。中は窓もなく、軽微な犯罪を犯したものの罪を認めない場合などに、閉じ込めて煙でいぶし、罪を白状させたのだとか。おっかないですね 左下の消火設備横の扉が牢屋に繋がる扉。牢屋は現在は焼失しています。

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手前は「なかのま」、お白州での裁きはここから行ったのでしょうね。奥が「なんど」。納戸というと物置的なイメージですが、主人の寝室であり、許可なく勝手に入ることはできない部屋でした。3方向の敷居は一段高く作られていて、敷居が高いと言う言葉の語源になった造りだそうです。そしてやはり猿落としとよばれるオートロックのような構造の戸で完全に戸締りをすることが可能になっています。厳重な造りですね。

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土間の天井。広い土間ですが柱がありません。大梁を3本を通すことで広い空間を確保しているのです。3本の梁のうちの一本(手前)は、昭和の解体修理のときに新しく取り替えられたもので残念ながらひびが入っています。

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お庭と結界石。結果石は立ち入り禁止を意味しています。お庭の左手に蔵のように見えている建物が現在今西家の方々が住んでいる住居。旧今西家の外観を損ねないためにも増築するときに蔵を模してつくられたそうです。そのため窓もないのだとか。今井町、今西家という文化財を保存するために住民の方々は大変な苦労と努力をなさっているのですね。

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今西家東側。

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今西家の前を通る道路は、折れ曲がって小さい枡形になっています。2階の窓は町内の道を真っ直ぐに見通す位置に作られていて、西の守りの要であったことがよくわかります。

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本筋通り、西方向。今西家が接しているメインストリートと言える通り。

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今井町はカフェやお土産屋さんなどは少ない方だと思いますがこの通り沿いには色々ありましたよ。

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こんな自販機もあってびっくりです。お豆腐やさんの自販機ですよ。美味しそうなお豆腐や油揚げ、豆乳などが売られています。

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本筋通り、東方向。電柱はありませんね。一番絵になる通りなのでしょうか、スケッチをしている人がたくさんいました。

長くなりそうなので分けます。

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2017'04.13 (Thu)

2017年3月・奈良旅行 橿原神宮

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担当:アル姉

3/19(日)
道の駅ふたかみパーク當麻を出発後に向かったのは橿原神宮です。今井町の町歩きをするにあたって駐車場に困り、橿原神宮にお参りしてそのまま歩いて今井町に行こうという話になりました。今井町は20年以上前に重伝健に指定されており、駐車場の整備もしっかりとされていますが、キャブコンのアルキング号だとゲートの屋根の高さの関係で入れない可能性があるのです。

橿原神宮
奈良県橿原市の畝傍山の東麓、久米町に所在する神社。初代天皇であると伝えられる神武天皇が、橿原宮で即位したという「日本書紀」の記述に基づき、明治23年(1890年)に明治天皇により官幣大社として創建されました。御祭神は神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。

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境内図。かなり広大。

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表参道。神橋と二の鳥居。子供の頃に来たはず。この参道だけは覚えがありましたがほかはさっぱり

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南手水舎。恐ろしく立派な手水舎で驚きました。

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神殿池。遊歩道も整備されています。

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南神門。

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もう一枚南神門。中央に白無垢の花嫁さんがいるのがわかりますか?この日は何組もの挙式が行われていたようで、あちこちに綺麗な花嫁さんがいてうっとりしてしまいました

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外拝殿。昭和14年に完成。大きな絵馬は人気の撮影スポット。お宮参りのご家族連れが多く、アルパパもカメラマンを頼まれたりしました。一生の思い出になる大事な家族写真です。上手く撮れてるのかなぁ

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外拝殿から内拝殿へ向かって参拝。外拝殿ができたのは昭和ということですから、創建当初の橿原神宮はここまで大きくなかったのでしょうか。全体的に割りと新しいなという印象です。

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内拝殿。紀元祭やその他重要な祭典に使用され、また特別参拝の拝殿となっています。本殿・幣殿はこの奥にあります。屋根越しに何とか幣殿の千木・鰹木が見えていますね。

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参拝中、雅楽の音色が響き渡ります。何事かと見ていると、内拝殿で行われる神前結婚式ではありませんか。思わず魅入ってしまいました。神前式って厳かで素敵ですね。

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そういえば境内にこんなところがありました。

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北参道と鳥居。

さて、お昼休憩を挟んでいよいよ今井町を目指します。近鉄橿原線の利用も考えたのですが、片道2km少々の道のりなので歩くことにしました。
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気持ちの良い小道を少し歩きます。

橿原神宮の北には神武天皇陵があるのです。
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が・・・なんということでしょう。杉並木が待ち受けていました。この日の花粉情報は「非常に多い」です。鼻はむずむず、目はかゆかゆです!

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神武天皇陵。畝傍山の北東の麓、橿原神宮に北接する。円丘で周囲は約100m、高さ5.5mの広い植え込みがあり、幅約16mの周濠をめぐらせています。

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橿原神宮はとてもにぎわっていたのに、ここはひっそりと静かです。神武天皇は実在したかどうかが疑問視されている人物で、天皇陵の造成についても諸説あるようですが、荘厳で神々しい雰囲気を醸し出している場所でした。

この後暫く喉の痛みに咳き込みながら幹線道路を歩き、今井町に到着です。
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今井町の紹介は次回になります~。

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2017'04.11 (Tue)

2017年3月・奈良旅行 當麻寺

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担当:アル姉

3/19(日)

二日目担当はアル姉です。今回の奈良旅行で車中泊地にしたのは葛城市にある道の駅ふたかみパーク當麻というところです。
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二上山(にじょうざん)のそばにある道の駅で、ハイキングや登山のお客さんで駐車場はいっぱい。気持ちの良い挨拶が飛び交います。

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道の駅のすぐ北にあるふるさと公園。

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周辺地図。

この日は今井町がメインだったのですが、近くに當麻寺という7世紀に創建されたお寺があるというのでお散歩がてら行ってみることにしました。

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當麻寺までは片道1.4kmほどの道のりです。不思議な型で埋め尽くされた敷地。プラスチック加工の会社のようでした。なるほど、遊具はこうして作られるのか!と初めて目にしました。面白いですね

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20分ほどで當麻寺の北門に到着。

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境内図と看板。

當麻寺(たいまでら)
奈良県葛城市にある7世紀創建の寺院。法号は禅林寺、山号は二上山。創建は白鳳時代に聖徳太子の異母弟の麻呂子王が創建した大阪河内の寺院を当麻の地に移されたと言われていますが定かではありません。主要伽藍のうち三堂(本堂・金堂・講堂)が公開(大人500円・小学生250円)されています。
本堂・東塔・西塔・塑造弥勒仏坐像(金堂安置)・当麻曼荼羅厨子・綴織当麻曼荼羅図・梵鐘などが国宝です。

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東大門(仁王門)と参道。

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梵鐘(国宝)。日本最古級と推定される梵鐘。當麻寺創建当時の遺物と言われています。

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東塔(国宝)。三重塔で、総高は24.4メートル。奈良時代末期の建築。

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金堂(重要文化財)・本堂(国宝)・講堂(重要文化財)。金堂は鎌倉時代の再建。内部には本尊の塑造弥勒仏坐像(国宝)、乾漆四天王立像などが安置され、創建当初は金堂が信仰の中心だったと言われています。

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本堂(国宝)。曼荼羅堂とも言われます。
寄棟造、本瓦葺。桁行7間、梁間6間。梁行6間のうち、奥の3間を内陣、手前の3間を礼堂とし、内陣は源頼朝寄進の須弥壇(国宝)上に高さ約5メートルの厨子(国宝)を置き、本尊の当麻曼荼羅を安置する。当麻曼荼羅の原本については、藤原豊成の娘とされる中将姫という女性が蓮の糸を用い、一夜で織り上げたという伝説があるそうです。能や浄瑠璃などにも演じられてきた中将姫の伝説については、當麻寺の公式サイトに詳しく載っています。

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中将姫の像。そういえば中将姫の墓というのが當麻寺に来る道中にありました。中将姫ゆかりのボタンの寺、石光寺も近くですね。地元の方に道を尋ねたときも「中将姫さんの○○ならあそこに。△△ならそこに」と詳しく教えてくださる方がおり、ひろく愛されているお姫さまのようですね。

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西塔(国宝)は見えませんでしたが、三重塔で総高は25.2メートル。様式からみて東塔よりやや遅れ、平安時代初期の建築と推定されるそうです。

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重文ですが白鳳時代の石燈籠。

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奥の院の楼門。当麻曼荼羅の原本(根本曼荼羅)は「綴織当麻曼荼羅図」という名称で工芸品部門の国宝に指定され、奥の院に収蔵されているそうです。特別展などで公開される以外は一般公開はされていません。

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時期が時期だったのでお墓参りの人が多く、観光客の姿はあまり見られませんでしたがとても大きくて立派なお寺でした。伽藍三堂の拝観以外にも庭園など見所は多そうです。

帰り道、個人的に気になっていた傘堂に寄ってみることにしました。その途中で見つけたのがこちら。
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大津皇子(天武天皇と大田皇女の間に生まれた皇子)の姉である大伯皇女が詠んだ歌です。多くの登山客でにぎわう二上山には大津皇子のお墓があるんですって。

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傘堂。郡山藩主本多政勝候の菩提をとむらうために建立されたものです。

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ここに吊り下げられていた梵鐘には、「恋王の私情に勝(た)えず」「一恩永伝」等の言葉が刻み込まれていたそうです。

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近くにあった當麻山口神社にも立ち寄り参拝。小さいけれど手入れの行き届いた綺麗な境内でした。

さあ道の駅に帰ろう、と思ったらとてもけたたましい鳴き声がきこえたので隣接する大池へ。
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池の向こうに見えている山が二上山。カモの鳴き声ではないなぁと思ったら、声の主は数年前から大池の主となっている・トゥールーズ・ガチョウさん夫婦。「ハイイロガンに似ている」とアルパパ。「いや、鳴き声からしてガチョウでしょうよ」とアル姉。調べてみたらハイイロガンから作った家禽なんだそうです。納得の特徴でした。

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ポカポカ陽気に誘われてついつい長めの散歩になってしまいました。午後からの今井町歩きが本番なのに足が既に疲れています(苦笑) そして見てくださいこの春霞。花粉情報も非常に多い、PM2.5の観測もこの日は高濃度で目・鼻・喉が大変な一日になりそうです。

おまけ
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お散歩途中で会った黒柴の子犬。とても人懐っこくかわいかったです。どんなわんちゃんに会ってもうっかり「アル~」と言ってしまうアルママが大喜びでした。名残惜しくもわんちゃんとお別れをして道の駅に戻り、橿原神宮へと向かいました。

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