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2018'01.21 (Sun)

赤穂 大石神社

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担当:アル姉

1/8(日)
まる君をいったん車において赤穂城周辺の観光を再開です。

赤穂と言えば、やっぱり真っ先に思い浮かぶのは忠臣蔵、赤穂四十七士ですよね。昔はよく年末になるとテレビで忠臣蔵をやっていたような気がしますが最近で見なくなりましたね。

【忠臣蔵とは】
江戸時代中期の元禄14年3月14日(1701年4月21日)、江戸城殿中松之大廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩(内匠頭)が高家肝煎・吉良義央(上野介)に刃傷に及んだことに端を発します。この一件で加害者とされた浅野長矩は即日切腹となり、被害者とされた吉良はお咎めなしとなりました。その結果を不服とする赤穂藩国家老・大石良雄(内蔵助)をはじめとする赤穂浪士(赤穂藩の旧藩士)47名は元禄15年12月14日未明に吉良邸へ討ち入りし主君の怨みを晴らしました。そしてその2か月後の浪士たちの切腹までの一連の事件を総称して「赤穂事件」と呼んでいます。やがて赤穂事件を題材に人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が作られ、歌舞伎にまでうつされ、その後赤穂事件の創作物を忠臣蔵と呼ぶようになったとのことです。

大石神社
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さてさて、そんな忠臣蔵ゆかりの大石神社が三の丸に大石内蔵助の屋敷跡に建立されています。

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赤穂事件において討ち入りをした大石良雄ら赤穂浪士を祀る神社。赤穂事件以降、赤穂浪士を称揚する人々によって旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ密かに祀られていたのが始まり。
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参道沿い向かって右側には四十七義士のうち大石内蔵助以下23名の討入り姿の像が並んでいました。

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左側には大石主税(ちから)以下24名の像が並んでいます。

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大石内蔵助(左)と大石主税(右)

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参道には屋台も並びまだまだ初詣客でいっぱいでした。

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御利益は大願成就及び願望成就。赤穂四十七士が不慣れな江戸で、一年十ヶ月に及ぶ窮乏生活に耐えて主君の仇を討ち大願を成就したことに由来するそうです。

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戌年ということで奉納されたらしい石像がありましたがコリーかシェットランドのような洋犬ですね。そして狛犬さん。狛犬さんは普通阿吽を表していると言いますがこちらの神社の狛犬さんは2体とも阿形のようで口を開けていました。

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浅野家と大石家の家紋。

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神社の東には三の丸大手隅櫓が見えています。

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大きな絵馬があったのでアルママと世界平和を願って一筆。

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一文字流しというのがあったのでやってみました。災・欲・病・痛など消したい一文字を書くといいそうです。例として脂なんかも上がっていました。そういうのもありなんですね(笑) 私はあちこち痛いので「痛」の一文字を。

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義士宝物殿

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義士宝物殿、同別館、義士木像奉安殿、大石良雄宅跡の共通券があるようでしたがアルパパもアルママも興味なさげだったのでパスとなってしまいました。

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東の参道にある東郷平八郎の書による「義膽」の石柱。膽は胆の旧字体。

神社周辺
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大石邸長屋門跡。

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大石邸長屋門は、赤穂藩浅野家筆頭家老・大石内蔵助の一家3代が57年にわたり住んでいた大石屋敷の正面門長屋である。かっては、内蔵助と主税の父子が朝夕出入りし、又元禄十四年三月主君の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちがたたいたのもこの門である。

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近藤源八宅跡長屋門。近藤源八正憲は甲州流軍学を修め、千石番頭の重職あった。源八の妻は、大石内蔵助良雄の叔母にあたり、大石家とは親戚関係にあったが、最初から義盟には加わらなかった。源八の父である三郎左衛門正純も甲州流軍学者であり、兵法に則って赤穂城築城の縄張り設計を行った。

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片岡源五右衛門高房赤穂四十七士の一人。赤穂藩では側用人・児小姓頭をつとめ、浅野長矩から最大の寵愛を受けた。

周辺には四十七士やゆかりの人物の邸宅跡が多くあり、このように石碑と説明看板が建っているそうです。今回の赤穂は時間の都合でここで終了となりました。花岳寺や息継ぎ井戸にも行けなかったのでまたの機会に行ってみたいと思います。数年後なら赤穂城跡の復元ももっと進んでいるかな。

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お土産の塩見饅頭。餡子が苦手な私でも食べられる数少ないお饅頭です。美味しかった~。

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2018'01.17 (Wed)

赤穂城跡

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担当:アル姉

1/8(日)
赤穂坂越の町並を散策した後は赤穂城へ。
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大手隅櫓と大手門

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赤穂城は江戸時代、赤穂藩の藩庁が置かれていました。 正保2年(1645)に常陸国笠間から入封した浅野長直が、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ,慶安元年(1648)より13年以上に亘る歳月を費やし、寛文元年(1661)に完成したものです。城郭の縄張りは近藤正純の指導のもと甲州流軍学によるもので、一部、二之丸枡形虎口付近は山鹿素行が設計変更したと伝えられています。
詳しくは公式サイトをご覧ください。

駐車場は歴史博物館横の東駐車場を利用しました。大石神社の駐車場に車が集中していたせいか割と空いてました。
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東駐車場から入ると向かって右が三の丸

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左手は二の丸

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清水門跡から入ります。 この門は幅二間二歩、奥行七尺七寸、建坪四坪のもので、「赤穂城引渡一件」文書では、川口門とも言われました。門を出ると板橋があり、附近には蔵屋敷(米蔵)、川口番所、御薬煙場がありました。米蔵があった場所には現在は歴史博物館が建てられています。

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三の丸の跡地には武家屋敷公園という公園も整備されています。

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二の丸外堀。赤穂城の二の丸門は当時は櫓門があったそうです。取り壊されて二の丸門跡は分かりづらいためスルーしてしまいましたが復元工事もすすんでいるようですね。

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近藤源八が設計した赤穂城の二の丸門付近の縄張りを一部改修したことで知られる山鹿素行の銅像。少し奥まったところにあるせいか誰もここには来ないのが印象的でした。

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本丸門二の門(高麗門)

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赤穂城の本丸門は廃城後に取り壊されていましたが平成4〜8年にかけて復元されました。

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本丸の石垣と堀。

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ペットの散歩は禁止という看板があったのでまる君は抱っこで記念撮影のあと猫カートの中へ。

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本丸門一の門(櫓門)

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中には本丸御殿の礎石が整備されています。御殿は表、中奥、奧からなり表御殿は政務を行う公的な場、中奥は藩主の私的な場、奧は女中たちの部屋として使用されました。

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本丸庭園。

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天守台。赤穂城には天守台のみで天守は築かれなかったそうです。

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天守台から見た本丸御殿跡。間取りがとても細かく説明されているので見ていて楽しいですが間取り以外の建物の詳細はわからないため復元は難しいようです。

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厩口門。本丸にあった3つの門のひとつ。

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本丸御殿の上を悠々と散歩する猫ちゃん。まるが必至で見ていましたが相手は気づいてない様子。

再び二の丸へ。
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大石頼母助屋敷門。赤穂藩の家老であった大石良重(大石内蔵助の大叔父)の屋敷跡。

大石頼母助屋敷門の奥には二の丸庭園が広がっています。
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まだ整備中なのか奥の方は立ち入り禁止となっていました。赤穂城跡公園全体がどんどん整備が進んでいるようなのでまた数年後に来てみたいと思いました。その時はお城メインでゆっくりしたいなぁ。

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時間はあまりなかったのですが少しだけまる君にも自由なお散歩タイムをプレゼント。

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ブログを書くにあたり公式サイトを見ていたらここもペット禁止のエリアみたいです。何人もわんちゃんを連れて散歩していたし、「ここから先はペット禁止」の看板の手前のエリアだったものですから大丈夫だと思ってしまいました、ごめんなさい。

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水が怖いはずのまる君が興味津々でお堀を覗いています。

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あんまりのぞくと落ちちゃうよ?

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アルママが心配しすぎてハラハラしているのにまる君はどんどん歩いて行ってしまいます。

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先日ノーリードでご主人とお散歩する猫ちゃんをテレビで見ましたが、いつかまるとそんな強い絆で結ばれる日が来るかしら。今はリードを離したらどこへ行ってしまうかわからなくて必死でリードを持っています。

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あまりにもアルママが心配するのでお堀のそばの散歩は終了。

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お、また猫ちゃん発見。まる君と同じカラーだね。

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これまたじーっと猫ちゃんを観察中のまる君。

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それにしても、怖がらずに歩いてくれるのは良いのですが、ジメジメした場所ばかり歩きたがるので足の裏が真っ黒に汚れてしまいます。

大石神社をスルーしたがるアルパパとせっかくだから行きたがるアル姉。結局せっかくなのでと行くことになりまる君は一足先に車に戻ることになりました。さすがに神社の中にはわんちゃんや猫ちゃんは連れていけないからね、ごめんね。

長くなってしまったので大石神社は次回です。
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2017'12.21 (Thu)

2017年 伊勢旅行その⑦ 椿大神社・大神神社

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担当:アルパパ

11月25日 椿大神社(つばきおおかみやしろ)

おはよう まる。今日も元気そうだね。
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今日は最終日、椿大神社と大神神社にお参りして帰路につきます。

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木曽川を渡り、堤防の上を南に向って走ります。上天気です。


まずは、椿大神社ですが、2010年の記事「伊勢神宮【二日目:椿大神社】」に紹介してあるので詳細は省きます。

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ここも見事な紅葉です。

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拝殿。

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幸運にも神楽が奉納されていました。中々見られないですね。

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続いて椿岸神社へ。

前には気付かなかったのですが、こんなものがあります。
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「神招福臼」。良い運がつくようにと願いを込めながら杵で3回つきます。
アルママは何を願っているのかな?

さて、今回は他に狙いがあったので、足の痛いアルママはまると一緒に留守番をして貰うことにして神社の裏手の山に向います。

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途中、ここにも綺麗な紅葉。

山道を歩くこと 10分。やがて、「神集愛宕社」という扁額の掛かった鳥居が現れました。
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次々と登山者が鳥居を潜って行きます。

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我々も、少し登りかけたのですが、どこまで続くのか判らない崩れかけた石段に恐れをなして途中で放棄。

椿大神社はパワースポットとして有名です。そのパワーの源は神社の後の山にあると思い、ここまで足を伸ばしてみたのですが、果たして、それはこの「神集愛宕社」なのか、更には、入道ヶ岳(906m)山頂に鎮座する椿大神社・奥社なのかよく判らなかったからです。後で調べてみると、「神集愛宕社」は300段ほど石段を登ったところにあったようです。

アル姉は「上から呼ばれている」といっていますが諦めましょう。

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駐車場から眺める入道ケ岳。

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あたり一面に広がる茶畑を通り抜けて大神神社に向います。


大神神社(おおみわじんじゃ)

午後は最後の訪問地、大神神社です。
アル一家は大神神社に何度もお参りしていますので、過去記事も多数ありますが、その中から「2013伊勢旅行記その4」にリンクを張っておきますので詳細はそちらでご覧ください。

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参道の紅葉。

境内案内図。
大神神社境内案内図
今回の旅行でアルパパはピンポイントでいくつかの目的を持っていました、具体的には、外宮の森の縄文の古木、椿大神社の後の山、そして大神神社では「磐座神社」と「市杵嶋姬神社」。それぞれの場所でどんなエネルギーが感じられるか。

まずは祓戸四神にご挨拶し、拝殿へお参りします。大神神社は三輪山をご神体としていますから本殿はありません。
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回廊のところに椅子がありますから、ここに座って素晴らしい氣をいただいてください。心身ともにリフレッシュします。

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三つの丸が真ん中で重なっている大神神社のご神紋ですが、ちょっとびっくりな発見です。

実は、アル姉が外宮・多賀宮で見たビジョンがこれだったからです。その時は、「何だろう」で終わったのですが、考えてみると謡曲「三輪」にも、「思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事」と謡われているように、伊勢と三輪の神は同じか、繋がりがあると考えられます。封じられた伊勢神道(度会神道)では外宮のご祭神である豊受大神の本質は天之御中主神や国常立尊であると主張していますが、アルパパの妄想では、外宮多賀宮も三輪山も国常立大神のエネルギーに繋がっていると観じます。であれば、このご神紋のつながりも納得です。
このことは過去記事「単独伊勢旅行日記【伊勢外宮と関宿】」にも書いてありますので、興味があおりでしたらご覧ください。
折りしも 11月19日、奈良県の天河神社で国常立大神復活の特別神事が執り行われたばかりです。

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参集殿の「なで兎」。しっかり撫でてご利益をいただきました。
卯は神社にとり、ご神縁の日として崇神朝以来、卯の日にお祭りを毎月奉仕しております。卯は兎にあてられ、この兎は江戸時代よりの一の鳥居前の大灯籠の火袋を守っていたものであり「なで兎」として伝わっています。(「なで兎」説明書きより)

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第一目的地「磐座(いわくら)神社」。柵の中には文字通り磐座が鎮座していますが、さてどんなエネルギー?
アルママとアル姉は揺れました。大揺れです。アルママはアル姉が指差す外宮の縄文の古木に触れたときも揺れに揺れて大騒ぎしていました。因みにご祭神はいかにも曰くありげに、少彦名神。封印されているのかも。
古代出雲族の神々は、日本に中央集権国家が成立した後、平安時代に各地に封印されました。それが今の神社だということです。新しい時代を迎えるために、そろそろ封印を解く時が来ているそうですが、出雲族の神々を封印したのは日向族であり、封印解除も日向族の手によって行なわれる必要があるのだとか・・・??

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狭井神社。ご祭神は狭井坐大神荒魂。ここから、ご神体の三輪山へ登拝します。お参りし、ご神水(こうずい)を頂きました。

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大神神社での第二目的地は市杵島姫神社。ご祭神は市杵島姫命。
アル姉が集中できるように、アルパパとアルママは橋のところで他の参拝者をブロック(スミマセン)。
アル姉は暫く集中していましたが、やはり姿を現していただけました。サラスバティ。
サラスバティ = 弁天様 = 市杵島姫 = 瀬織津姫です。
サラスバティが初めて姿を現されたときの過去記事はこちら。→「宮島③

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しかも、今回は「天」という字を示していただきました。上に一つ下に二つ、三つの天の文字ですが、何の意味か?
毎度のことですが、ありがたいメッセージをいただいてもアルパパの単純思考では残念ながら理解不能です。

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近くの展望所から、三輪山と大和平野。

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待ちくたびれた まる。どんな格好やねん。

大神神社への参拝を終え帰路につきます。それぞれの場所でそれぞれのエネルギーを感じられた旅行でした。

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夕焼けの西空に大金龍様(国常立大神)が現れてお見送りをいただきました。

無事帰着後、まると荷物を降ろし、アルキング号を少し離れた駐車場に泊めて帰ってみると、まるが戸を開け放った部屋から部屋へと猛ダッシュ中。かれこれ 20分ほどもダッシュを繰り返しているのだとか。3泊4日の旅の運動不足とストレスを解消しているのでしょうね。「まる」お疲れさまでした。


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2017'04.24 (Mon)

2017年3月・奈良旅行 今井町③

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担当:アル姉

3/19(日)


今井町その③です。
今井町散策マップ。
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中町筋からスタートです。
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旧米谷家(マップF)
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屋号は「米忠」、金物商を営んでいました。18世紀中頃の建物で後に、内蔵や蔵前座敷を増築したそうです。見学無料。

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説明看板。

内部。
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特徴的な形をしたかまどです。勾玉の形になっていて機能性を重視した造りになっています。

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煙出しが両面に開いているのは比較的新しい町屋なのだそうです。そう言えば今西家などは片側だけでしたね。

音村家
(マップE)
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屋号は「細九」、隣り合う旧米谷家と同じく金物商を営んでいました。見学は要予約で200円。17世紀後半に主屋が建てられ、だんだんと増築されていったようです。珍しい「一口竈」(出土した遺構をもとに復元)が置かれているそうですが、おそらく今井まちや館にあったかまどと同じタイプだと思います。

上田家
(マップD)
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今西家と同じく惣年寄りをつとめていました。見学は要予約。
屋号は「壷屋」。江戸時代初期には酒造業も営んでおり、有力商家と共に「今井札」を発行するほど優れた経済力を持っていました。大工町筋の南側に位置し、西面にも道があって角地に建っています。上の写真は西面の道から撮ったもの。

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写真左手が大工筋。棟札から1744年頃の建築と見られています。入母屋造、本瓦葺で、2階の軒は低く、内部は北側に土間、南側は整形六間取り。今西家と同じで周囲の町屋に比べるとかなり立派な造りになっています。時間があれば見学も考えたのですが、ここの時点で今井に来て既に2時間が経過していましたので却下となりました。

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大工町筋。このあたりまで来るとほとんど観光客がいません。

ここからは北尊坊通りです。
吉村家(旧上田家)(マップJ)
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屋号は「壷八」、飲み屋さんみたいですが肥料商を営んでいました。非公開。

山尾家(マップK)
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屋号は「新堂屋」。幕末には、町年寄を勤めた大商家。現在は今井まち衆博物館新堂屋として見学可能(要予約、400円)。明治10年明治天皇の今井行幸に随行した木戸孝允卿が投宿した時に使用した調度品まどが展示されているそうです。

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竹細工屋さんと銀行。銀行も町並みに溶け込むようなデザインにしてあるのでしょうが少々苦しいですね。

ここから中尊坊通り。
河合家(マップG)
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屋号は「上品寺屋(じょうぼんじや)」で酒造業を営んでおり、現在も造り酒屋さんとして営業なさっています。見学は1階だけなら100円、2階までなら300円(2階は要予約)。杉玉がいくつもぶらさがっていますね。丸窓もなんだか可愛らしい。今井町の中では二階建ての町屋は珍しく、18世紀中頃の比較的早く二階建てになった町屋だそうです。

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正面に回る前、建物の東側を見ているときに「ああ、造り酒屋さんだな」と思いました。

高木家(マップH)
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屋号を「大東の四条屋」と呼ばれる四条屋の分家、本家の酒造業を助け、後には醤油屋も併せて営んでいました。建物は19世紀頃の初期頃で、2階部分は19世紀末期に整備したものです。見学は要予約で300円。幕末期の上層町屋。

町の通りの半分も歩いていないし町屋の内部見学もあまりしていないのに気付けば3時間ほど経っていました。全然時間が足りません(苦笑)。今井町はおしゃれなカフェや土産物屋さんだらけの観光地(倉敷の美観地区はすっかりそんな感じです、苦笑)と違って静かで落ち着いた雰囲気なのが魅力の町でした。メインストリートよりも人々の生活観が感じられる路地なんかもなかなか味があって良いです。そう言えばアルママの大好きだった朝ドラ「あさが来た」のロケ地にもなっていたのだと帰ってから気付きました。「え~?町を歩いている時に教えて欲しかった~」と言われましたが気がつかなかったんだから仕方がないじゃない。また是非歩きたい町のひとつですね。

さぁ、これで1泊2日の旅行は終了です。朝から歩きっぱなしでまさに足が棒状態でしたが、車を置いたのが橿原神宮だったので後はもう黙々と歩きました。この日の万歩計は24,000歩。本当によく歩いた気がします。お疲れなのにこの後3時間以上アルキング号を運転して帰ってくれたアルパパには本当に脱帽と感謝です。いつも楽しい旅をありがとう。

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2017'04.20 (Thu)

2017年3月・奈良旅行 今井町②

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担当:アル姉

3/19(日)


今井町その②です。
重伝建、今井町散策マップ。
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前回、南からぐるっと回って今西家を見学し本町筋を通りました。

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続いて一本南に行ってみます。虫籠窓の形もいろいろあって見ていてあきません。

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御堂筋。こちらは電柱が目立ちますが、見所の多い通りです。

豊田家(マップB)
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丸に木の紋ですね。要予約で見学可能。200円。根は入母屋造、本瓦葺で軒は高く、2階軒は出桁造り。 寛文2年(1662)の建築で古くからある上層町屋。

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説明看板。西の木屋(材木商、牧村家)で大名貸しや藩の蔵元等をつとめた。

称念寺(マップI)
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寺内町として成立した今井町の中核となった寺院で、寺内町の形成、発展を支える町政全般の拠点。浄土真宗本願寺派。
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遠くから見ていて本堂が見えないなぁと思ったら完全に覆われていて解体修復中でした。完成は東京オリンピックまでにはという話でした。

案内所兼休憩所
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称念寺の向かいの案内所ではボランティアの方が今井町や修復中の称念寺についての説明をしてくれましたので、解体中の本堂の写真なども見ることができました。

中橋家(マップC)
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屋号は「米彦」、もちろんお米屋さんですね。内部は非公開。

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説明看板によると、19世紀前半頃に正面上部に低い「つし2階」が増築された中規模な町家のようです。

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香ばしいような良い香り、お醤油屋さんを発見しました。旅行に行くたびに醤油を買おうとするアル姉に、アルママからダメ出しが出てしまいました。残念。

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南北の細い筋。見忘れた所があったので本町筋にもどってみることに。

今井まちや館(マップ③)
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18世紀初期頃の町家ですが、明治以降は、空家の期間も長く破損がひどかったそうです。8000万円ほどの修復費用をかけ、資料にもとづき当初の姿に復元。古材を再利用しつつ耐震、防火施設の充実をはかりながら再建したもので無料公開されています。

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内部。厨子(つし)二階の部分に上がらせてもらえます。厨子とはロフトのようなものです。案内のおばあちゃんがそう何度も力説するのです。外から見たとき虫籠(むしこ)窓が見える町屋はたいていこの厨子があります。

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文化財指定はないのですが、なかなか立派な町屋で予約なしで気軽に雰囲気を味わえるのは魅力的です。一口竈も珍しいですしね。

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本町筋。やはり少し道がずれていて見通しはききません。

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郵便局も町屋風。

続いて一本北の中町筋へ。もう一回分割です。
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