2013'06.16 (Sun)
出雲大社参拝の旅 二日目
担当:アルパパ
引越しに追われる日々が続いていたため泊り掛けの旅行は4ヶ月振りとなりますが、今回は、60年に一度という遷宮を終えたばかりの出雲大社を訪ねました。
一日目は、アル一家お気に入りの三瓶山に立ち寄り森林浴で半日ほど過ごし、その日は、出雲大社に近い道の駅「大社ご縁広場」で車中泊。二日目が目的の出雲大社参拝です。
今回は異例ですが、既に書き終えたアルパパが先行という展開で、二日目からご紹介です。
二日目:6月9日(日) 出雲大社
アル一家の毎日は、アル先生の早朝散歩から始まりますが、それは旅に出ても変わることはありません。アルの治療日記でご承知のように、アル先生、右後足がうまく動かず、引きずっています。今日の朝の散歩も、ついつい長く歩かせ過ぎたため、右後足の爪から出血。アル先生は、一日お留守番となってしまいました。
さて、改めて、今回の旅行テーマは「遷宮なった出雲大社参拝」。
前日は道の駅「大社ご縁広場」に泊まったため車の移動も必要なく、ゆっくりと8:40ごろから出雲大社へと向かいます。
さすがに60年に一度の遷宮とあって、町全体が祝賀ムードに溢れ、社へ続く道も一畑電鉄の駅舎付近もきれいに整備されています。
それにしても、まだ9:00というのに中々の人出です。
一の鳥居を潜ると祓戸四神がお祀りしてあるので、ここでまずご挨拶ですが、何とここにも順番待ちの小さな列ができています。ちょっと驚きです。
この写真は3年前のもの。誰もお参りしていません。
手水社で手を清め口を嗽ぎ早速参拝。
出雲の神々へのお参りは2礼4拍手1拝です。
アルパパは、あてどもなく漂流するこの世を立直すため、大国主に「そろそろお出まし」をお願いしました。
さてさて、拝殿前はさほどの混雑ではありませんでしたが、
拝殿での参拝が終わって本殿の方を見ると、ちょっとした列が!
アル姉の解説では、6月6日から6月30日まで、本殿のある八足門内の特別拝礼が行われているのだそうで、早速、列に並びました。一列が四列になり最後は八列に並んで拝礼。30分ぐらい並んだでしょうか。
元々、人々の雑多に入り混じったエネルギーに弱いアル姉は、渦巻くお願いエネルギーに当てられてしまったようで顔色が冴えません。
本殿を横からみたところ。 十九社・・・全国の神様が集まるときのお宿です。
実は、今回の旅行、アルパパの目的は、3年前には近づけなかった本殿の裏手、素鵞社(そがのやしろ)への参拝にあります。
後の森は八雲山といい、禁足地となっており霊気に満ち溢れ、ここが出雲大社のエネルギーの源泉であることがわかります。本殿のすぐ後ですが、ここまで足を伸ばす参拝者は多くはありません。
素鵞社のご祭神は、名前からも判るとおりスサノオ命です。
スサノオと大国主、神話に出てくるエピソードには事欠きませんが、アルパパお気に入りの仮説を一つ紹介します。妄想の類ですから、気楽に読み飛ばしてください。
大国主命は云わずと知れた出雲族を代表する神様。出雲族は原日本人といえる海人族の流れを汲み、民族的にいうと縄文人、その勢力範囲は奈良県辺りまで及んでいたと考えられています。そこへ大陸方面から半島を経て進出してきたのがスサノオ一派。神話の中では天孫族といわれ、民族的には弥生人と考えられます。両者は争いますが、スサノオ一派は出雲族を殲滅することなく、出雲族はスサノオ一派を受入れ婚姻関係を結んでいきます。
神話に出てくる八岐大蛇退治、国譲りといった一連の物語は、これらのことを示唆していると考えられます。
出雲族を平定したスサノオは、やがて、吉備を経て畿内に至り、日本最初の統一王朝を打立てます。これが世に言う物部王朝で、神武に始まる初期の天皇達はこの物部王朝に属します。その後、半島からスサノオと同族系のアマテラス一派が進出してきて物部王朝に代わる大和王朝を打立て、これが現在の天皇家に繋がっています。
天皇家は神武から連綿と続くのではなく、途中で王朝の交代があったという説は、正史からは否定され異端視されていますが、根強く語り継がれています。
神話の中では、スサノオが乱暴者に、そして時には聞き分けのない駄々っ子のように描かれているのは何故か、ずっと疑問に思っていたのですが、この説に接し、私の中では数々の疑問が解け全てが繋がってきました。
アルパパが、大国主とスサノオの確執に想いを馳せているうちに、素鵞社の静寂の中、自然の気を浴びてアル姉も無事回復したようです。
本殿を後から見たところ。
再び本殿から拝殿の方へ戻ってみると、おおっ何と、幾重にも曲がった長蛇の列!
その後、人出の多さに辟易しつつも、今日が最終日という伝統の出雲神楽を少しだけ見物。
神楽の一場も最後までは見切らずに、11:30頃、次の目的地、稲佐浜へと向かいますが、その前にいくつかの銅像をご紹介。
大国主命の像。
これは道の駅の傍にある「出雲の阿国」像。
稲佐浜
ここは神話の「国ゆずり」の場として有名なところ。天孫族の使者として来た武甕槌命が、この砂浜に矛を突き立て「否(いな)、然(さ)」と迫り、この談判で出雲大帝国の主、大国主命は降服を決意したといいます。
今日は、いく組かの親子連れがのどかなひと時を過ごしていますが、かつてここは歴史に残る緊迫した雰囲気に包まれていたことでしょう。
そのときの光景を思い浮かべると、落差に眩暈を感じそうです。
アル先生、颯爽と歩いているように見えますが、後足を見ると右足の動きが悪いため左右の足が揃っています。
昼食を終えて、次に訪ねたのは美保神社。
もう一つぐらい訪ねられるかなということで、何気なく選んだのがこの美保神社だったのですが、意外なことが判ってきます。
美保神社は島根半島の東端に近いところ、稲佐浜が半島の西端に近いところですから、約50kmを一路縦断していきます。
混雑する出雲大社周辺を避け、出雲ドームや、アル姉が大騒ぎする中、
島根ワイナリーを右に見ながら通り過ぎ、
宍道湖、中の海の湖畔沿いを走り抜け、
境港大橋の下を潜り、細い道の端から覆いかぶさる木々の枝を避けながら、やっとの思いで到着。
美保神社は、前に小さな漁港が開け、後は深い森に包まれたロケーション。
素鵞社とはまた少し違いますが、清々しいエネルギーに包まれています。
美保神社のご紹介。
ご祭神ですが、本殿、左殿に三穂津姫、右殿に事代主命の二柱が祀られています。
(左殿(本殿に向かって右側)が上位です)
本殿を後から見ると、左が左殿、右が右殿。千木が左殿は女神なので内削ぎ、右殿は男神なので外削ぎになっています。(残念ながら左殿の方はよく見えないようです)
三穂津姫は大国主命の后神、事代主は大国主命の子神で大国主が国譲りを決心したとき、義憤のあまり海に身を投じ、天孫族に恨みを残して死んだ神様といわれています。
う~ん、偶然とは思えない大国主繋がり、大国主の導きなのでしょうか。
もっとも、事代主は大国主の子とされていますが、元々は大和葛城の田の神で、国譲り神話の中で出雲の神とされるようになったともいわれています。
まあ、神話の世界は、かくもよく判らないものであります。
現在では、大国主は大黒様、事代主は恵比寿様というお目出度い神様としてお祀りされていますが、どうも、そんな単純ではない深い想いが伝わってくるように感じます。
さてさて、古に想いを馳せつつも、一旦鳥居を潜ればそこは煩悩溢れる娑婆世界。
門前の屋台で、酒の肴にイカの一夜干を仕入れてニンマリとするアルパパであります。
その後は、一路帰宅の途へ。
隠岐の島へ向かうフェリー。
終わってみれば、今回は、スサノオ・大国主のエネルギーに導かれた旅になったようですが、できれば、今年中に式年遷宮を終えた伊勢神宮も訪れ、クニトコタチ・アマテラスの神々のエネルギーにも触れたいと思うアルパパでありました。
その節には、また、ご報告を。
ではでは。
テーマ : キャンピングカーぶらり旅 - ジャンル : 旅行
スサノウの孫の孫の孫あたりが、大国主と書かれた
記事が多いでしょ、
スサノウはどんだけ長寿の爺様なんや(*^_^*)
そんな事思ってた中、出雲族とスサノオ一派の争いは
真実味がありますね^^
まだまだ、知らない事が多く、勉強せないかんと
思いました(*^_^*)
今回の記事、この前の大本王仁三郎の記事、とても面白く
読ませて頂いてます。
アルパパの宗教に対する、探究心、これからも楽しみ
にしてます。
アル姉も気道整体のI先生のお陰で、ほとんど寝たきりの状態から、仕事はまだ無理ですが日常生活ではほとんど支障のない状態まで回復しました。I先生の治療を受けながらアルも少しずつよくなっていくと思います。アルも高齢ですから、これからはゆっくりのんびりと散歩できたらよいと思っています。
えいじょうさんへ
私が古神道に興味をもったのは、アルが治療を受けている気道整体のI先生を知ってからですから最近のことです。もう○年か前ですが、アル姉が世間で言う線維筋痛症で寝たきりに近くなり、現代医学では治療法がないときに巡りめぐって辿り着いたのがI先生です。その不思議な能力は何か? ということを調べていくうちに、神示や古神道に行き着きました。その古神道は明治の国家神道の成立とともに抹殺されていますが、それはまた抹殺された古代史とも重なり合っているというように調べていくほどに興味の尽きないものがあります。折を見てまたこれら異端の説をご紹介していきたいと思いますので、そんな見方もあるのかと気楽に読んでいただければ幸いです。
2カ月前に中古車のエレキング19年式を購入しました。
ネットで購入しましたので取説がなくて最初は大変苦労しましたが
最近やっとエアサス、ランチョの調整等解ってきました。
同じエレキングにどんな乗り方をされておられるのか興味があって
ブログを拝見させて貰っております。
エレキングの先輩に教えていただきたい事は、水タンクが空の時も
走行しますと後ろの温水ボイラーにラジエターからの熱い冷却水が
流れて来てゴムホースをさわると大変熱いので大丈夫かなと心配しております、先日九州キャンピングカーショーでデルタリンクの人に質問しましたら大丈夫との事でしたが・・・・そちらはどうしておられるのか教えていただければ有り難いのですが。
結論からいいますと、大丈夫だと思います。
冷却水の温度も温水ヒーターのところまで来ると、せいぜい80~90℃ぐらいではないでしょうか。タンクに水があってもなくても温水ヒーター部分の温度は冷却水温以上にはならないので問題はないと思います。
現に、私は、冬季は凍結を避けるため、また夏場は水の腐敗を避けるため、旅行に行かないときはタンクの水を抜いたままで近回りは走っていますが、過去3年半不具合はありません。
それより、温水ヒーターまでホースを長く取り回しているためか、漏れと言うことではありませんが、冷却水が少しずつ減るようです。時々補充が必要です。
また、二次バッテリーの液はよく減りますので、こまめにチェックが必要です。
これで心配症の私も安心です。
これからもアルパパさんの面白くて役に立つブログ読ましていただきます。ありがとうがざいました。
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
読み終わって賢くなった気がしていますが、すぐ
>煩悩溢れる娑婆世界
のことばに
吸い込まれて、せっかくの知識がすっ飛んでいます。
アル先生、早く良くなるといいですね。
調子が悪くても一生懸命なワンコを見ていると
団塊の私は自分の生きてきた人生を思い知らされる気がします。
ゆっくり、静かに足を引きずらずに散歩できるといいですね。